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主権免除の国際法の変化と
日本軍「慰安婦」訴訟ソウル高等法院判決

2024年2月29日に開催された正義記憶連帯主催の国際シンポジウム「日本国に対する損害賠償請求訴訟第2審勝訴判決の意味と課題」での発言の記録に加筆訂正した。



★今日は世界各国の著名な国際法研究者が参加されており、私などが国際法について発言する場合ではありません。ただ、ウェビナーで視聴されている参加者は国際法研究者ばかりではないと思いますので、一般の方が研究者の発言を理解するために必要な主権免除の国際法に関する基本的な事実と用語を紹介しながら、11月23日のソウル高等法院判決に対する私の感想を少し述べることにします。
  


★日本軍「慰安婦」訴訟の被告は日本国という主権国家です。そして日本政府は韓国の裁判手続を無視して出廷せず、何も主張しませんでした。したがって、本件の法的な争点は韓国裁判所に日本国を被告とする訴訟手続を進める権限があるのか?すなわち主権免除の問題に絞られます。
 主権免除は国家免除ともいいます。英語ではsovereign immunityまたはstate immunity。いずれにせよ同じことです。これは主権国家は他国の裁判権に服する義務を免除されるという慣習国際法上の規則です。主権国家は平等であると言う原則から導かれる規則であると言われています。
 この規則が適用されると韓国の裁判所は日本国を被告とする裁判を行う権限がないということになります。



★かつては国家のいかなる行為も他国の裁判権から免除されるという絶対免除主義(the rule of absolute immunity)が支配的でした。
 しかし、国家が貿易などの商業に関与するようになると絶対免除主義を維持することは難しくなりました。外国国家と商取引を行った者は代金の不払などのトラブルがあっても訴訟で解決することができず、不利益を被ることになるからです。



★そこで、国家の行為を主権行為と業務管理行為に分類し、主権行為についてのみ主権免除をみとめようという制限免除主義(商行為例外) restrictive approach to immunityがヨーロッパの裁判所から始まり、約100年かけて世界に広まりました。日本の最高裁判所や韓国の大法院も2000年前後に制限免除主義を受け容れています。
 主権行為とは外交上の行為や戦争行為のように国家しか行うことのできない行為、業務管理行為とは大使館の建設契約とか食材の購入などのように一般の私人もすることができる行為です。
 しかし、実際には主権行為と業務管理行為の分類は簡単ではありません。とくに交通事故の処理で問題が発生しました。外交官ナンバーの自動車が交通事故を起こし、被害者が裁判で賠償を請求しようとすると、当事者や保険会社が主権免除を主張するという事態が発生するようになりました。自動車の運転の客観的な性質が主権行為か業務管理行為かと断定するのは困難です。運転の目的を基準とすると、自動車が駐在国の外務大臣と面会するなどの外交上の用件で運行されていたのか、食材の買い出しや外交官個人のレジャーのために運行されていたのかによって主権免除を適用するかどうかが決定されることになります。このようなことを交通事故の被害者が立証することは不可能です。これでは被害者は泣き寝入りするしかありません。


★そこで、裁判所のある国(法廷地国)の領域のなかで外国の不法行為によって損害を被った場合の損害賠償請求については、主権行為か業務管理行為かを区別せずに主権免除を適用しないことにしようという判決がやはりヨーロッパで出始めました。これをtort exceptionと言います。ここでは「不法行為例外」と呼ぶことにします。不法行為例外も急速に世界に広まり、主権免除の範囲を国内法で定めている13国のうち12国はこれを採用しています。日本の「対外国民事裁判権法」もそのうちの一つです。またヨーロッパの8国が参加している欧州国家免除条約、まだ未発効ですが28国が署名している国連国家免除条約もこれを採用しています。それは交通事故だけではなく、法廷地国内での外国の不法行為一般に適用されるようになっています。


★さらに、今世紀に入って、更に新しい例外が主張されるようになりました。国際法上の強行規範に違反する虐殺、奴隷化、強制連行、拷問のような不法行為があり、深刻な人権侵害が発生し、被害者の最後の救済手段が国内裁判所であるような場合には主権免除を排除して被害者の裁判を受ける権利を保障しようというのです。主権免除にも国家の尊厳の保持とか外交関係の安定などの存在意義があるとしても、このような場合には主権免除よりも裁判を受ける権利を優先すべきだと言うのです。これを「人権例外」と呼ぶことにします。。


★いろいろな用語が出て来たので、ここで整理しておきます。
 私は左のように、絶対免除主義に対して商行為例外(制限免除主義)、不法行為例外、人権例外の順に例外が登場したと説明しました。つまり「商行為例外」と「制限免除主義」を同じ意味に使っています。
 一方、右のようにまず例外を認めない絶対免除主義と何らかの例外を認める制限免除主義に分類し、制限免除主義の中に商行為例外、不法行為例外、人権例外などがあると説明する人もいます。これは単なる用語の問題です。


★ところで、日本軍「慰安婦」のような植民地被害、戦争被害は通常外国の不法行為によって発生するので、不法行為例外によって救済する(主権免除を排除する)ことができるはずです。それなのに人権例外が唱えられるようになったのはなぜでしょうか。
 まず、虐殺、強制連行、奴隷化のような国際法の強行規範に違反する不法行為による人権侵害を交通事故処理の論理を借りて救済しようというのは違和感があると言う理念的な問題です。
 もう一つは実質的な問題です。交通事故処理に由来する不法行為例外は法廷地国の領域内での外国の不法行為だけを主権免除の例外とするのが通常です。そうすると法廷地国の領域外での外国の不法行為の被害者は救済できないことになります。
 実際の例として、フランス領内でドイツ軍に拉致されてドイツで強制労働に従事したイタリアの元軍人がイタリア裁判所にドイツを提訴したケースがあります。法廷地国はイタリア、不法行為地はフランスとドイツです。アル・アドサニ事件といって、クウェート、イギリスの2重国籍の実業家がクウェートで拷問を受け、イギリスに脱出した後にイギリス裁判所にクウェートを提訴したケースもがあります。法廷地はイギリス、不法行為地はクウェートです。仮に広島、長崎で被爆した在韓被爆者が韓国裁判所に米国を提訴すると、法廷地国は韓国、不法行為地は日本となって同じ問題が生じることになります。このような被害者を救済するためには不法行為例外ではなく、不法行為地を国内に限定しない人権例外のような解釈が必要になるのです。


★2000年代に入ってギリシャやイタリアで人権例外によると思われる国内判決が出始めました。第2次世界大戦末期にドイツ軍が民間人214人を虐殺したディストモ事件の被害者の遺族の訴訟で、ギリシャの裁判所はドイツの主権免除を否定して原告らの賠償請求を認めました。イタリアではドイツにより強制労働させられたフェッリーニ氏の訴えについて2004年に破棄院(最高裁判所)がドイツの主権免除を認めない判断を下しました。その後イタリアではドイツに賠償を命ずる多数の判決がだされ、強制執行が認めれた事案もありました。そこでドイツはこのようなイタリア裁判所の判断は主権免除の国際法に違反するとして国際司法裁判所(ICJ)にイタリアを提訴しました。
 この事件のICJの裁判長は現在の日本の皇后の実父である小和田裁判官でした。そして2012年の判決は残念ながらドイツの主張を認めるものでした。これで戦後補償と主権免除の問題は決着したと誤解する人々が多いのですが、判決をよく読んでみるとそうではないことが分かります。
 人権例外については、ICJは各国の国家実行(立法や裁判例)を数え上げて、これを認める国家はまだ相対少数であり、現在のところ慣習国際法になっていないとしています。逆にいえば、今後人権例外を認める国内判決が出現することを当然の前提としており、仮にこれが相対多数となればICJも反対の判断をすることになるはずです。


★また不法行為例外が慣習国際法と言えるのかについてはICJは判断を避けています。そして「仮に不法行為例外が慣習国際法であるとしても『武力紛争遂行時の軍隊の行為には主権免除が適用されるという慣習国際法が存在する』と、「例外の例外」を認定して不法行為例外の適用を否定しました。
 この「例外の例外」の存在の論証は納得できるものではありませんが、日本軍「慰安婦」被害者が欺罔や強制によって連行されたのは武力紛争地ではない朝鮮半島ですから、ICJの論理に従ったとしてもこの部分は日本軍「慰安婦」のケースには当てはまらないことになります。


★さて、ご存じのように韓国での日本軍「慰安婦」訴訟は1次訴訟と2次訴訟があり、あわせて3件の判決がだされました。 勝訴した1次訴訟の1審判決を「1.8判決」、敗訴した2次訴訟の1審判決を「4.21判決」、勝訴した2次訴訟の2審判決を「11.23判決」と呼ぶことにします。


★1次訴訟も2次訴訟も原告の「慰安婦」被害者に対する不法行為の一部である連行行為は朝鮮半島で行われており、不法行為例外を適用できるケースです。したがって、人権例外を適用する実質的な必要性はありません。
 ところが、1.8判決は裁判を受ける権利の重要性、国際法上の強行規範違反、国内裁判が最後の救済手段であることをあげて日本の主権免除を否定しました。あえて人権例外を正面から採用した、極めて先進的な判決と言えます。


★反対に、4.21判決は日本の主権免除を認めました。ICJ判決が現在の慣習国際法を示すものであると断定し、ICJが否定したことを理由に人権例外を否定したのです。しかし、中学生にもわかることですが、ICJが各国の裁判例を数えて人権例外が少数であると判断し、そのICJ判決を基準として各国の裁判所が人権例外を否定すると、論理が循環して永久に国際法が発展しないことになってしまいます。また、不法行為例外についても、国内法でこれを定めた12国、これを認めた条約に署名している28国は国連加盟国の193国に比べれば少数だとしてやはり慣習国際法であることを否定します。そもそも主権免除について何も表明しない国家が大部分であるにもかかわらず、あえて国連加盟国数を分母として不法行為例外が少数であるとするこの論理は今回の11.23判決で的確に批判されています。


★日本政府は1.8判決を「国際法上考えられない判決」と非難しましたが、その後世界で「考えられない」判決が続出します。
 まず2021年8月のブラジル判決。第2次世界大戦中にドイツの潜水艦にブラジル漁船が撃沈された事件について、韓国の1.8判決を引用してドイツの主権免除を否定しました。
 次にウクライナ判決です。ウクライナ最高裁判所は2014年の武力紛争時に戦死した兵士の遺族がロシアを提訴した事件でロシアの主権免除を否定しました。
 そして、英国の高等裁判所はサウジアラビアの人権活動家がイギリスでサウジアラビアのエージェントから暴行を受けた事件でサウジアラビアの主権免除を否定しました。


★今回の11.23判決はこのような判決を「国際法は被害者の裁判を受ける権利を保障する方向に進化している」と正しく評価したうえで、不法行為例外が慣習国際法であることを認め、不法行為例外によって日本の主権免除を否定しました。
 一方で、人権例外については判断を示していません。


★各判決が人権例外と不法行為例外についてどのように判断したのかまとめてみました。
 ○は肯定、×は否定、△は判断回避です。どちらかの例外を認めれば被害者が勝訴することになります。
 1.8判決はICJ判決が否定した人権例外を肯定し、ICJ判決と衝突する判断になっています。これに対して11.23判決は人権例外について判断せず、ICJ判決が判断を回避した不法行為例外を認めた上で、ICJが提示した「武力紛争中の軍隊の行為には主権免除を認める」という「例外の例外」は本件には当てはまらないとしたのです。


★その意味で1.8判決が先進的な判決であったのに比べ、今回の判決は本件の原告のために必要な部分のみを判断し、ICJ判決との衝突も回避した「堅実な判決」ということができます。そしてそこに今回の判決の意義もあると思います。


★今後の課題として本件については判決の意義を広めるとか、強制執行をどうするかという問題があります。また、従来日本製鐵や三菱重工業などの日本企業の責任だけを追及してきた強制動員訴訟でも日本国の責任を問うことが可能になってきました。
 今日の私の発言のタイトルは「主権免除に関する慣習国際法の変化」ですので、その点についての今後の課題についてお話しします。 11.23判決は人権例外について判断しなかったので、法廷地国外での不法行為の被害者については今後の課題として残されたことになります。しかし、植民地、戦争被害などの場合、交通事故とは違って不法行為が法廷地国で行われたかどうかはかなり偶然に左右されます。例えば中国の延辺から連れ去られて上海で「慰安婦」生活をさせられたとか、すでに日本に住んでいた韓国人が徴用されて日本で強制労働させられた場合、韓国の裁判所に提訴すると法廷地は韓国、不法行為地は中国や日本ということになります。このような被害者の人権回復の必要性は不法行為地が韓国である場合と違いがないはずです。したがって、とくに植民地被害、戦争被害について不法行為地を問わず被害回復する必要があると思われます。


★ここで、ウクライナ判決にもう一度注目したいと思います。ウクライナ最高裁判所は「ウクライナの主権を無視した国家の主権を尊重する義務はない」と簡明な論理を述べています。考えてみると、植民地支配や侵略戦争は他国の主権を無視した行為であり、日本軍「慰安婦」や強制動員被害はその中で発生したものです。それなのに、その結果発生した人権侵害を追及されると主権免除を持ち出して自国の主権の尊重を要求するのはそもそも筋違いであると言えます。


★人権例外を認めるべき要素として、強行規範違反、深刻な人権侵害、最後の救済手段などの要素があげられてきましたが、主権侵害をともなう不法行為の場合には他の要件、特に「最後の救済手段」の要件を緩和してでも主権免除の例外を認めるべきではないかと思うのです。これからは「他国の主権を無視した植民地支配や侵略戦争の中で強行規範に違反する行為を行った国家は主権免除を主張することができない」という「植民地例外」あるいは「侵略戦争例外」を主張すべきではないでしょうか。


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