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浮島丸訴訟の訴訟記録

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1審(1992~2001)

 1審だけで10年近い歳月を要したが、その原因のひとつは遺骨返還をめぐる和解協議だった。1995年5月、国の指定代理人は遺骨返還について訴外で協議したいと提案した。祐天寺の遺骨は個人が特定されたものではなく、回収した遺骨を混ぜ、死没者名簿の人数に分けて箱に納め、それに死没者の名前を記載したものであるが、それでも遺族が受けいれるのであれば返還方法について協議したいというのである。原告側は国が遺骨を返還する方向であることを確認し、協議に応じることにして、①祐天寺での返還、②来日の費用と供養料の国による負担、③国の謝罪表明、➃遺骨が祐天寺におさめられるまでの経緯の文書説明を求めた。その後、厚生省や外務省の担当者と6回の訴外協議が行われたが、国側は「謝罪をするつもりはないし、謝罪について話し合うつもりもない」と主張し、1995年12月に決裂した。
 2000年6月、一審の最終段階に、裁判所は遺骨についての和解を勧告した。しかし訴外協議のときの対立は解消されず、11月に和解協議は決裂した。ところが国は2001年1月25日、突然11名の原告の遺骨返還請求を認諾した。謝罪を拒否しつつ敗訴を避けるための姑息な対応であった。

●原告書面

≫訴状1(1992.8.25)
「日本国は強制動員という先行行為により、動員された人々を安全に帰還させる条理上の義務を負っているから、自爆であればもちろん、触雷であったとしても被害者に対して賠償責任を負う。」と主張し、死亡者遺族30名が各5000万円、生還者及びの遺族20名が各2000万円の賠償を求めた。

≫訴状2(1993.8.23)
 死亡者遺族12名と生還者及びその遺族15名が追加提訴、死亡者遺族中11名は遺骨返還も請求。

≫訴変更申立書(1993.8.23)
 1次原告中7名が遺骨返還請求を追加した。

≫訴状3(1994.8.23)
 死亡者遺族2名と生還者及びその遺族3名が追加提訴

≫原告第1準備書面(1993.10.12)
 真相解明の必要性、解明すべき点を指摘し、厚生省が死没者名簿以外に資料は存在しないと述べたことに疑問を提起した。

≫原告第2準備書面(1994.7.21)
 新発見の電文を引用し、浮島丸の目的地は当初から釜山ではなく舞鶴であった可能性を指摘した。

≫原告第3準備書面(1995.02.17)
 損失補償責任に関する被告の主張(第2準備書面)に対する反論。

≫原告第4準備書面(1995.5.18)
 安全配慮義務違反に関する被告の主張(第8準備書面)に対する反論。

≫原告第5準備書面(1996.4.18)
 立法不作為に関する被告の主張に対する反論。

≫原告第6準備書面(1996.8.27)
 遺骨返還請求に関する国の主張(第10準備書面)に対する批判。

≫原告第7準備書面(1997.2.13)
 「道義的国家たるべき義務」に関する国の主張(第10準備書面)に対する批判。

≫文書提出命令申立書(1997.9.11)
 乗船者名簿などの文書提出命令を求めた。

≫文書提出命令申立意見書(1997.11.6)
 乗船名簿は存在しないとの国の説明に対し、それではどのようにして死没者名簿を作成したのかなどの釈明を求めた。

≫原告求釈明申立書(1998.1.29)
 祐天寺にある遺骨が「分骨」された経緯、被告の所持する浮島丸関係資料の内容、死没者名簿の作成過程等についての具体的な説明を求めた。

≫ご連絡書(1998.2.23)
 乗船者名簿について再調査を求めた。

≫原告意見書(1999.3.11)
 被告の「証拠申出に対する意見書」(1999.1.28)に対する反論。

≫弁論調書(2000.6.1)
 被告は乗船名簿の存在をあくまで否定し、原告は裁判所の勧奨により、やむなく乗船名簿の文書提出命令申立を取り下げた。

≫原告意見書(2000.10.6)
 遺骨返還の際には国の謝罪が不可欠であること。

≫原告1審最終準備書面(2001.1.25)
 原告らの独自調査をもとに事実関係について詳細に主張し、1審における法的主張を整理した。


●被告書面

≫答弁書1(1993.3.2)
 1次提訴に対する答弁書。

≫答弁書2(1993.10.12)
 2次提訴に対する答弁書。

≫被告第1準備書面(1993.6.22)
 背景的事実に対する認否。被告が所持する資料には被害者の日本名(創氏名)のみが記載されているとして、原告らがかつて使用していた日本名の開示を求めた

≫被告第2準備書面(1993.10.12)
 原告らの主張のうち、国家賠償法の類推適用、大日本帝国憲法27条による損失補償請求について反論。

≫被告第3準備書面(1993.10.12)
 原告らの訴変更申立(遺骨返還請求の追加)に対する答弁。

≫被告第4準備書面(1994.2.3)
 原告らの主張のうち、 立法不作為による国家賠償請求に対する反論。

≫被告第5準備書面(1994.5.12)
 浮島丸事件の事実関係及び戦後補償の国際的潮流に関する認否。

≫被告第6準備書面(1994.7.21)
 各原告の被害事実についての認否。

≫被告第7準備書面(1994.9.22)
 船体の引揚、遺骨の保管に関する事実についての認否。

≫被告第8準備書面(1994.12.1)
 原告らの主張のうち、 安全配慮義務に基づく損害賠償請求に対する反論。

≫被告第9準備書面(1996.4.26)
 安全配慮義務についての原告再反論(原告第4準備書面)に対する再々反論。

≫被告第10準備書面(1996.6.28)
 遺骨返還請求についての認否。

≫被告第11準備書面(1997.2.13)
 遺骨の収容と保管に関する事実。

≫被告意見書(1997.10.6)
 原告の文書提出命令に対する意見。乗船名簿の存在を否定した。

≫被告第12準備書面(1997.12.16)
 原告の1997.11.6意見書による求釈明に対する釈明など。

≫被告第13準備書面(1998.03.23)
 原告の1998.1.29求釈明申立書による求釈明に対する釈明。

被告第14準備書面(     )
 

≫弁論調書(2001.1.25)
 被告は結審の直前に、謝罪と敗訴を避けるために一部原告の遺骨返還請求を認諾した。

≫被告第15準備書面(2001.3.1)
 原告の各主張に対する反論。

≫被告第16準備書面(2001.3.1)
 被告第15準備書面の補足。

●人証・意見陳述・意見書

≫原告徐■求、金■天、金■坤、全■烈の冒頭意見陳述(1993.3.2付弁論調書)

≫原告徐■鎬冒頭意見陳述(1993.10.12付弁論調書)

≫原告全■烈の法廷発言(1995.5.18付弁論調書)
 この訴訟の企画者であった宋斗会氏が原告全■烈氏の口を借りて訴訟の要点について述べた。

≫原告池■植聴取報告書(1997.11.28聴取)

≫原告張■道聴取報告書(1997.11.29聴取)

≫原告金■錫聴取報告書(1997.11.29聴取)

≫原告全■烈本人調書(1999.10.28)

≫原告文■植本人調書(1999.10.28)

≫原告張■道本人調書(1999.10.28)

≫李金珠証人調書(1999.10.28)
 多数の被害者の調査を行い、本件訴訟の準備に尽力した太平洋戦争犠牲者光州遺族会の李金珠会長の証言。

≫原告盧■相本人調書(1999.10.29)

≫原告金■天本人調書(1999.10.29)

≫原告金■錫本人調書(1999.10.29)

≫田在鎭証人調書(2000.2.24)
 浮島丸爆沈真相糾明会の会長として多数の被害者の聞き取り調査を行った田在鎭氏の証言。

田中宏意見書


田中宏証人調書(2000.6.1)

≫一審判決(2001.8.23)

 国と原告らの間に乗船契約類似の関係を認め、国に安全配慮義務違反があったとして生存被害者15名に対する各300万円の賠償を命じた。不法行為責任ではなく契約責任を選択した構成は原告や支援者の間でも「本質から外れた法的構成」として違和感を持って受け止められた。確かに技巧的な構成ではあるが、これは一審で国が時効を援用しなかった(控訴審で援用)ことがひとつの原因になっている。当時の民法724条後段は不法行為による損害賠償について不法行為の時から20年の出訴期間を定めていたが、最高裁判例はこれを当事者の援用を要件とする消滅時効ではなく、援用を必要としない除斥期間と解釈していた。したがって、裁判所が不法行為責任を選択すると、次に除斥期間について判断しなければならなくなる。信義則による除斥期間不適用の法理が未形成であった当時としては、原告らの請求を認めるためには時効が援用されていない契約責任を選択する必要があったのである。

控訴審(2001~2003)

●一審原告書面

≫一審原告控訴状(2001.9.6)

≫一審原告準備書面(2002.2.28)
 保管する資料の開示を拒む一審被告を批判し、一審敗訴部分について一審原告の主張を展開した。

≫一審原告準備書面(2002.5.7)
 一審被告の時効援用に対して、時機に遅れた攻撃防御方法としての却下を求め、また時効の起算点は提訴直前であり、そうでないとしても時効援用は権利濫用であると主張した。

≫一審原告準備書面(2002.6.9)
 契約上の安全配慮義務違反により一部原告の請求を認めた一審判決に対する一審被告の批判への反論。

≫一審原告準備書面(2002.9.9)
 日韓請求権協定により原告らは権利を行使できなくなったという一審被告の新主張に対する反論。

≫一審原告準備書面(2002.9.11)
 「国家無答責」に関する一審原告らの主張の補充。

≫一審原告準備書面(2002.9.26)
 時効援用に関する再反論。

〇一審原告準備書面(2002.10.18) 一審原告らの相続関係。
〇一審原告準備書面(2002.11.15) 一審原告らの相続関係。一部の請求の趣旨の変更。
〇一審原告準備書面(2002.11.18) 一審原告らの相続関係。一部の請求の趣旨の変更。
〇一審原告準備書面(2002.12.3) 一審原告らの相続関係に関する主張の訂正。
 (合計200頁を超える上記の4書面は、2審当時すでに死亡していた被害者について、被害者、関係者の死亡時期とその当時施行されていた民法の内容を特定し、原告の相続分を精微に計算したものである。その内容は被害者、原告の親、兄弟、子、孫などを含む相続関係図(系図)など、個人情報そのものであり、公開になじまない。)

一審原告準備書面(2002.12.12)
 控訴審における法的主張の整理。

●一審被告(国)書面

≫一審被告(国)控訴状(2001.9.3)

≫一審被告(国)準備書面(2001.10.23)
 契約責任により請求を一部認容した一審判決を批判し、日韓請求権協定により原告らの請求は認められなくなったという新主張を展開するとともに、消滅時効を援用した。

一審被告(国)準備書面(2001.)
 

≫一審被告(国)準備書面(2002.11.21)
 安全配慮義務違反、国家無答責、消滅時効にかんする再反論。

≫一審被告(国)準備書面(2002.11.21)
 日韓請求権協定に関する再反論。

≫一審被告(国)準備書面(2002.12.12)
 一審原告の相続関係に関する主張について

●人証・意見陳述

≫一審原告全■烈意見陳述(2002.2.28)

≫一審原告文■植意見陳述(2002.2.28)

≫一審原告宋■葉聴取報告書(2002.10.2聴取)

≫一審原告宋■葉本人調書(2002.10.24)

≫一審原告呉■春本人調書(2002.10.24)

松本克美証人調書(2002.10.24)

≫控訴審判決(2003.5.30)

「大湊警備府が,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れ,治安上の理由から,これらの朝鮮人徴用工らを早急に朝鮮に帰還させることを計画し,実行したことは,必要やむを得ざる対応であった」「本件作戦計画のために浮島丸を供用し,可能な限り多数の朝鮮人徴用工らを乗船させた上,触雷の危険を伴う航海を命令,実行したとしても,当該具体的状況の下におけるやむを得ない措置であったということができ,当時の法秩序及び具体的状況の下においては,これらについて朝鮮人乗船者らに対する国の安全配慮義務の不履行を問題にする余地はないものというべきである。」として、一審判決を破棄して原告の請求をすべて棄却した。日本の治安の維持のためには多数の朝鮮人の命を触雷の危険にさらしても仕方がないと正面から認めたこの判決は日本の戦後補償裁判の判決の中でも最悪のものと言うべきである。

上告審(2003~2004)

≫上告理由書(2003.9.22)

≫上告受理申立理由書(2003.9.22)

≫上告・上告受理棄却決定(2004.11.30)

 最高裁は「適法な上告・上告受理申立理由にあたらない」という形式的な理由で棄却した。
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