金鐘甲 キムチョンカプ さんの日本国籍確認訴訟

「入管と縁を切りたい!」の資料公開にあたって   兼崎暉

「金鐘甲(キムチョンカプ)さんの裁判をすすめる会」が作成した「入管と縁を切りたい!」は彼が一生をかけて裁判で必死に訴えたことを記録したものです。 山本晴太弁護士の勧めで公開の場所の提供をいただき、感謝します。

原告の金鐘甲(キムチョンカプ)さんの略歴
1920年12月25日、 現在の韓国慶尚北道金泉郡に生まれた。
1941年6月、 21歳の時に千島列島に、続いて、宮城県多賀城に日本軍軍事基地建設のため強制連行された。
1951年、 賍物罪で、1年2月の実刑判決で、大村収容所に収容。
1958年、 1月ごとの更新の特別在留許可を得て、北九州市門司区に居住し、沖仲仕として働く。
1971年、 更新手続きに遅れて、再び退去強制処分をうけ、仮放免となる。
1971年11月、 脳卒中で左半身不随となり、浅尾外科に入院。
1971年8月23日、 門司労災病院へ転院。以来25年間入院。
1975年8月11日、 福岡地裁に日本国籍確認訴訟を起こす。
1984年9月28日、 地裁判決で敗訴。
1986年10月15日、 福岡高裁に控訴
1989年2月9日、 福岡高裁で敗訴。 最高裁に上告を意図するも、弁護士のついていない原告裁判なので、初歩的な上告理由書の解釈誤りより、上告できず。敗訴確定。
1996年12月9日、 くりかえす細菌性肺炎にて、門司労災病院で死亡。

 金さんは言っていました。「俺は来たくて日本に来たのではないんだ。強制されて日本に来たんだ。 戦後は日本国籍を剥奪されて、それによって、生活上も多大な苦難を負わされて生きてきた俺の苦しみを死ぬ前に一言、日本国に突き付けたいとの思いからこの裁判を始めたんだ!」と。 金さんの起こした日本国籍確認訴訟は今に至る重要な問題を提起しています。 戦前よりいるにもかかわらず帰化していない多くの在日韓国人朝鮮人は外国人として今もなお、日本で参政権がなく、基本的人権の制約のもとに生きていることです。また、最近では、近代産業遺産としてユネスコの世界遺産の申請において、その産業現場で朝鮮人強制連行強制労働があったことを日本政府は公にしないことです。金さんは今、言うでしょう。「俺が生涯をかけて、裁判で訴えたことが、今もなお、まったく、受け止められていないじゃないか!」と。


(表紙の画像をクリックすると本文が表示されます。)

「入管と縁を切りたい」 №1 1975.8.9

訴状
金鐘甲氏の裁判をすすめるにあたって
裁判を起こすまでの経過
金鐘甲さんのこれまで
金鐘甲さんの主治医としての僕
金鐘甲さんの裁判
日本国籍確認訴訟の意義
日本国籍のこと


「入管と縁を切りたい」 №2 1976.6.12

金さんの経歴
裁判傍聴記
裁判後集会での発言
被告(国)答弁書
金さんと酒
在日韓国、朝鮮人の参政権獲得闘争
「ビッコ」の表現について
「異邦人の河」上映運動の中で考えたこと



「入管と縁を切りたい」 №3 1977.6.5

金鐘甲氏の裁判をすすめるにあたって
私の経歴(金鐘甲さん聞き書き)
口頭弁論傍聴記
被告(国)第1準備書面
在日韓国・朝鮮人の参政権運動Ⅱ
関東-東京に運動の拡大を!
金鐘甲さんの裁判をすすめる会の活動
「全九州報告交流会」に参加して
剥奪された国籍


「入管と縁を切りたい」 №4 1978.4.28

金さんをとりまく運動と裁判の経過
書証の紹介
在日韓国・朝鮮人の参政権運動Ⅲ
原告第4~第6準備書面
原告証拠申請
被告第2~第3準備書面
新聞資料
伊藤弘さんのこと



「入管と縁を切りたい」 №5 1979.4.21

この裁判のこれまでの経過とその中で考えること
裁判傍聴記
在日韓国・朝鮮人の参政権獲得闘争
原告第7~第9準備書面
宋斗会裁判における田中宏さんの証言
宋斗会氏の最終陳述の要点と判決結果






「入管と縁を切りたい」 №6 1981.7.8

金鐘甲さんの日本国籍確認訴訟の経過
原告第10~第13準備書面
証拠申請書
宋斗会裁判大阪高裁判決
国連人権委員会に差別の実態を提起
国連人権委員会で在日朝鮮人問題討議
指紋押捺拒否闘争
新聞、ビラの切り抜きなど



「入管と縁を切りたい」 №7 1985.2.9

さらに、日本と日本人へ問いかける
判決(福岡地方裁判所)
原告第14~第15(最終)準備書面
犬養光博証人証言
シェファー・ウーリッヒ証人証言
原告の陳述
崔昌華証人証言
被告最終準備書面



「入管と縁を切りたい」 №8 1986.10.10

控訴趣意書
裁判を始めて12年目の金さんのこの頃








金鐘甲追悼文集 1998.12.8

「クリスマスは俺の誕生日や」-告別式式辞
福吉伝道所のクリスマス週報より
金さんの主治医としての24年間
キム チョンカプさん-告別式にて
金鐘甲さんの思い出
金ちゃんとの老いらくの恋
私の経歴-金鐘甲さん聞き書き

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