1 制憲憲法の成立(1948)
1)制憲憲法成立の経緯
1945年8月15日に大日本帝国は敗亡しソ連とアメリカが38度線を境に朝鮮半島を分割占領した。米軍政は中国にあった大韓民国臨時政府の正当性を認めず、金九(キム・グ)ら臨時政府の要人は個人の資格で帰国した。一方、ソ連占領地域では中国東北地方で抗日闘争をしていた金日成(キム・イルソン)が指導者として登場した。
1945年12月27日の米ソ英外相会議では臨時政府の樹立、臨時政府を支援する米ソ共同委員会の設立、米ソ英中による最長五年間の信託統治の方針が示された。国内世論が反託と賛託に激しく分裂するなかで、結局米ソ共同委員会が決裂し、アメリカは朝鮮問題を国連に持ち込んだ。国連総会は1948年5月10日に選挙を実施することを決議したが、北朝鮮は国連統一委員団の入北を拒否し、1948年2月、国連は実施可能な地域内での選挙による政府樹立を決定した。分断を固定化する単独選挙に反対していた金九、金奎植(キム・ギュシク)ら中間派は選挙をボイコットし、済州島では武装蜂起が起こるなど騒然とした雰囲気の中で5月10日の単独選挙が行われ、5月31日に国会が構成された。
中間派のボイコットにより国会内で初代大統領に目される人物は永くアメリカで独立運動に携わってきた李承晩(イ・スンマン)のほかに存在しなかった。国会の憲法起草委員会は兪鎮午(ユ・ジヌ)の作成した議院内閣制、両院制の憲法案を決定しようとしていたが、李承晩の強い要求により急遽大統領中心制、一院制の憲法案に変更した。憲法案は7月12日に国会を通過、7月17日に施行された。
2)制憲憲法の特徴
①基本的人権
居住移転(10条)通信の秘密(11条)言論出版集会結社(12条)労働三権(18条)に個別の法律の留保(「法律によらなければ」「法律の範囲内において」)が付されている。10〜12条の法律の留保は大日本帝国憲法22条、25条、26条、29条の影響下にあると思われる。日本国憲法の約2年後という時代に制定された憲法の人権規定としてはきわめて不十分であるといえる。また、生存権保障の一般規定はないが、18条は営利を目的とする私企業の勤労者に対して利益分配均霑権を保障し、19条は「老齢疾病その他勤労能力の喪失により生活維持の能力がない者」の社会福祉受給権を保障している。18条は日本資産を接収して民間に払い下げたことに関連して規定されたものであるといわれるが、一般的に規定されたことによって後記の経済の章の規定と相まって、統制経済による国民の生活の向上を志向するものとなった。
② 統治機構
統治機構については、制定過程の議論を反映し、実質的な大統領制の中に外形的な議院内閣制が混在しており、「二元政府」と称されることもある。
すなわち、国会が選出した大統領は行政権の首班であり外国に対して国家を代表し(51条)、財政・経済上の緊急措置権、戒厳宣布権などを有する。大統領の任命と国会の承認により国務総理が任命され、大統領を議長、国務総理を副議長とし、大統領が任命する国務委員とともに構成する国務院が国政の重要事項に関する議決権を持つ。ただし、大統領は国務委員を交代させることができるから、国務院による大統領の統制は外見上のものにすぎない。
国務総理は国会の総選挙の度に国会の承認を受けねばならず、国会に従属するが、大統領や国務総理による国会解散権は認められていない。
国会は国民の直接選挙により選出された議員で構成される一院制国会である。大統領・副統領はアメリカのようなチーム制をとらず、「各々」選挙される。副統領は国務会議の構成員ですらないが、大統領に事故があった場合の職務代行者となる。
③ 司法機関
司法権は大法院と下級裁判所により構成される裁判所に属するが、違憲立法審査権は別に設けられる憲法委員会に属する。憲法委員会は副統領が委員長、大法官5名と国会議員5名の裁判官で構成され、純粋の司法機関とは言えない。また、弾劾の裁判は憲法委員会と同様の構成の弾劾裁判所が行う。
④ 経済
制憲憲法は独立した「経済」の章を設けており、これは現行憲法にまで引き継がれ、韓国憲法の特色となっている。制憲憲法では経済的自由の原則的制限(84条)、資源国有(85条)、農地分配(86条)、公共企業国営・公営(87条1項)貿易国家統制(87条2項)私企業の国営化許容(88条)等を規定し、統制経済の傾向の強い内容となっている。