3 四捨五入改憲(1954)

1)第二次憲法改正(四捨五入改憲)の経緯
 1952年8月に実施された大統領選挙で李承晩(イ・スンマン)は再選され、1954年5月の国会議員選挙では与党の自由党が大勝し、憲法改正に必要な議席数である3分の2を確保した。自由党は李承晩大統領の三選を可能にする改憲案を国会に提出したが、造反者が出たために203議席中135票の賛成にとどまり、3分の2に一票不足して否決された。しかし自由党は2日後に、「203議席の3分の2は135.333…であり、四捨五入すると135であるから、135票の賛成を得た改憲案は可決された」という強引な理屈で可決を宣布した。

2)第二次改正憲法の特徴
 憲法55条1項但書は大統領の重任は一回に限ると規定していたが、本改正ではこの制限を回避するために55条1項を改正するのではなく、附則に「この憲法公布当時の大統領に対しては第55条1項但書の制限を適用しない」と規定した。すなわち、李承晩大統領のみに無制限の重任という特権を付与するものであり、憲法自身の平等原則にも真向から対立するものであった。前項の改正手続の違法性と合わせ、この改正は立憲主義を踏みにじり、憲法を執政者の玩具にするものあった。
 また、この改正では国務総理制を廃止した(68条)。これにより、前回の改正で野党案から「抜粋」された議院内閣制的制度が消滅し、大統領の権限が強化された(69条、73条)。さらに、軍法会議の設置を明文化し軍法会議違憲論を遮断し(83条の2)、大統領が欠けた場合の副統領の権限代行は前任大統領の残任期間に限る旨の規定を新設した(55条2項)。
 経済については統制経済的な規定を緩和した。
 その他、国家安危に関する重大事項についての国民投票制度の新設(7条の2)、有権者50万人以上による憲法改正の発議規定の新設(98条)、参議院議員の改選を3年毎2分の1に改め(33条2項)、両院の権限等について若干の改正(37条2項、39条、40条2項、42条の2、46条)などが行われた。しかし、上記の規定による国民投票、有権者発議は行われたことがなく、参議院選挙も結局行われなかったから、これらの改正は李大統領への特権付与を目立たなくさせるための装いに過ぎないものである。

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