目 次

略語

謝辞

要旨

1.遺産に関する問題点

1.1. 遺産の名称、登録日と「顕著な普遍的価値」の紹介

1.2. 調査団への委嘱事項 に関する重要決定と問題点の要旨

1.3. 上記の重要決定の実施の背景

•重要決定のフォローアップ

•日本国から提供された情報

•大韓民国から提供された情報

•ユネスコに寄せられた情報

•調査団の制約事項

•調査前のオンラインミーティング

2.調査団

2.1. 調査団に関する基本事項

2.2. 調査団の制約事項

2.3. 委嘱事項

3.問題の検討

3.1.世界遺産委員会の関係決定により調査に含まれる重要問題の紹介

3.2.各主要問題に関する締約国の(実行済及び実行予定の)活動

3.2.1.調査前に受領した資料に記載された締約国の活動の概要

3.2.2.産業遺産情報センターの訪問、スタッフとの交流、訪問者に配布される情報による観察

•各遺跡がどのように顕著な普遍的価値に貢献しているかを示し、各遺跡の歴史全体の理解を可能にするための説明戦略(決定39 COM 8B.14)

•多数の朝鮮人等が意に反して連行され、過酷な環境で労働を強いられたことや、日本政府の徴用政策についての理解を可能にする措置

•情報センターの設置など犠牲者を追悼するための適切な措置の説明戦略への編入

•顕著な普遍的価値が存在する期間中および期間外の資産の歴史全体の説明に関する説明戦略とデジタル説明資料の国際的な最良の実践

•関係者間の継続的な対話

3.3.調査後に受け取った文書に記載された、産業遺産情報センター長が提案した行動の概要

4.結論

別紙

略  語

(略)

謝  辞

 調査団は新型コロナウィルスパンデミックという困難な状況にもかかわらず、調査を準備・助成し、調査期間中も継続的に御支援いただいた日本の当局、特に内閣官房と外務省に深い感謝の意を表します。

 3日間にわたって調査団を歓迎、案内し、我々の質問に根気よく答え、多くの情報や資料を共有していただいた産業遺産情報センターのセンター長と彼女のチームに調査団は深く感謝します。また、8件の資産のうち7件について非常に有益なプレゼンテーションをしてくださった発言者の方々にも、調査団は感謝の意を表します。

 特に、継続的なサポートをしていただいた通訳と技術者に感謝します。彼らがいなければこの調査は全く実現不可能でした。

 最後に調査団は、準備の各段階で情報を共有し、調査を支援してくださったユネスコ日本政府代表部大使閣下、すべての代表部メンバー、オンラインで面会した専門家に感謝の意を表します。(オンラインで面会した専門家を含む氏名リストは別紙9参照)

 

要  旨

 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は2015年に世界遺産に登録された。世界遺産委員会の登録決定には、特に説明に関する多くの勧告が含まれていた。この決定を受けて駐ユネスコ日本大使が発表した声明は、情報センターの設置に言及するなど、説明に関するいくつかの約束をしている。締約国(日本国)は説明戦略を作成して2017年に委員会に提出し、それに対し資産の説明に関する追加勧告を含む新たな委員会決定が行われた。その後、2020年に東京に産業遺産情報センターが開設された。  

 本調査は締約国である日本国が委員会の決定や登録時の約束を完全には守っていないという懸念が大韓民国をはじめとする一部の締約国から表明されたことを受けて、ユネスコから要請されたものである。世界遺産センターは、産業遺産情報センターの視察とその報告を行うために、ユネスコから推薦された2名(エティエンヌ・クレメント氏、ジュディス・ヘルマン博士)と、ICOMOSから推薦された1名(ピーター・フィリップス氏)の計3名の調査専門家を任命した。ヘルマン博士は2021年6月7日から9日に実際に情報センターを訪問し、クレメント、フィリップス両氏はその訪問と関係プレゼンテーションにオンラインで参加することができた。訪問に先立ち、専門家らは世界遺産センターおよび日韓の政府代表とのブリーフィングおよび情報交換会に参加した。

 調査団は、特に世界遺産委員会の第39回会合(39 COM 8B.14)と第42回会合(42 COM 7B.10)での2つの決定に注意を払いつつ、産業遺産情報センターで提供されている情報を検討するとともに、訪問者に提供されているその他の情報について産業遺産情報センターのスタッフと意見交換した。また、世界遺産の構成資産が存在する8地域のうち7地域の保存と説明、端島について説明している民間機関である長崎軍艦島デジタルミュージアムの活動について調査団に対するプレゼンテーションが行われた。

 調査団は、産業遺産情報センター(ゾーン1と2)の展示における説明戦略、調査中とその前後に提供された説明ツールと関連資料が、産業遺産の各構成部分がどのように顕著な普遍的価値に貢献し、産業化の様々な段階を反映しているかに配慮していることに注目した。英訳は壁パネルに連動して訪問者が使用できるタブレットの形で提供されているが、他の言語への翻訳も進行中であると締約国(日本国)は述べている。

 調査団は、産業遺産情報センターで実施されている説明戦略が本件遺産の顕著な普遍的価値に関連する期間の前後の期間(1850年代~1910年)も考慮していることに注目した。 1910年までの時期の歴史は幅広く紹介されているが、1910年以降の時期に関する資料はきわめて少ない。特に、1910年以降の日本の軍事計画における明治の産業遺跡の役割は「歴史全体」の一部として言及されているにすぎない。

この期間に関連して、調査団は上記決定の脚注で言及されている、登録の日における日本代表団が行った明確な声明を指針とした[原注1][訳注2]。 調査団は、産業遺産情報センター(ゾーン3)が説明を伝えるために事実を確立する目的で、文書記録、新聞の切抜き、書籍、学術研究、個人的な記録、及び証言を保管・展示していることを確認した。これらの資料の中には、1940年代及びそれ以前に、多くの朝鮮人やその他の人々を含む、そこで働くすべての人々にとって過酷な労働条件がいくつかの遺跡で広まっていたことを認めているものがある。壁パネルは第二次世界大戦中に日本で行われた徴用政策も紹介している。それにもかかわらず調査団は、特に口述証言の焦点となっている端島の遺跡について、訪問者に提示される歴史的な説明が、特に戦時中の産業遺産の暗部を含む産業労働のあらゆる側面について訪問者が自ら判断できるような方法で、多様な見解を提示しようとしていないことを確認した。口述証言では、人々が「強制的に働かされていた」という証拠をほとんど示さず、「過酷な状況」や「犠牲者」については日本人労働者と朝鮮人などとの間に違いはなかったと述べられていた。異なる見解の証拠となるという点で「議論の余地がある」ものとして調査団に提供された資料は大部分がゾーン3の書架に限定されている。

保存資料の中には炭鉱事故などの資料もあるが、強制労働や軍事目的の使用の事実を遺産の顕著な普遍的価値の優位性を損なうことなく完全に認めている類似の歴史を持つ他の産業遺産の実例のような、犠牲者を追悼する目的に適切に資する展示は現在のところ存在しない。説明戦略は全体として明確に世界遺産の顕著な普遍的価値を優先しているが、締約国の声明にもあるように、産業遺産情報センターの重要な目的は犠牲者を追悼することであった。

多くの説明資料とプレゼンテーション、特にデジタル説明資料は国際的に最良の実践であり、他の遺跡のモデルになると調査団は考えた。調査団は、産業遺産情報センターは世界中の多文化的背景を持つ国民や国際的専門家による最良の実践を検討して開発されたにもかかわらず、他のいくつかの関係締約国の専門家は資産の説明に関する議論に参加しておらず、他国が保有するかなりの歴史的資料が研究センターのコレクションにまだ含まれていないと思われることに注目した。

東京の産業遺産情報センターへの訪問前および訪問中に提示されたすべての証拠を慎重に検討した結果、調査団は、委員会の決定におけるいくつかの側面が遵守され、中には非常に優れた方法で遵守され、締約国の多くの約束も果されているが、産業遺産情報センターは登録時に締約国が行った約束や、登録時およびその後の世界遺産委員会の決定をまだ完全には実施していないとの結論に達した。

(本  文)

1.遺産に関する問題点

1.1. 遺産の名称、登録日と「顕著な普遍的価値」の紹介

2015年、第39回世界遺産委員会において、日本の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の遺跡が、基準(ii)と(iv)により世界遺産に登録された。

「主に日本の南西部に位置する九州・山口に集中する一連の産業遺産は、西洋から非西洋諸国への産業化の移転の初めての成功を代表するものである。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて日本が成し遂げた急速な産業化は、特に防衛上の必要性から、鉄鋼、造船、石炭産業を基盤としたものであった。この一連の遺跡は、1850年代から1910年までのわずか50年余りの間に達成された急速な産業化の3つの段階を反映している。」(UNESCO 2015, 決定 39 COM 8B.14) (2015年に採択された「顕著な普遍的価値の明細」については 別紙6参照)

1.2. 調査団への委嘱事項に関連する主要な決定と問題点の要旨 (これらの資料の全文は別紙2参照)

- 決定 39 COM 8B.14 [2015] (UNESCO WH 2015b)
「世界遺産委員会は… 4. 締約国(日本国)が以下の事項を考慮するよう勧告する。...
g)  各構成資産がいかに顕著な普遍的価値に貢献し産業化の1又は2以上の段階を反映しているかを特に強調し、各遺跡の歴史全体[1]についても理解を可能にする、資産のプレゼンテーションのための説明戦略を策定すること。
+ 第4節g 脚注[1]:「世界遺産委員会は、会議の要約記録第4節gに記載された、各遺跡の歴史全体を理解することを可能にする説明戦略について日本が行った声明に留意する (文書 WHC-15/39.COM/INF.19)。」

- 日本代表団による声明 (UNESCO WH 2015a, pp 222–223):
「日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。日本は,インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。」

- 決定 42 COM 7B.10 [2018] (UNESCO WH 2018b)
「世界遺跡委員会は: …
9. 顕著な普遍的価値の期間中および期間外の歴史全体のデジタル説明資料を含む説明作業を進める際に、説明戦略のための国際的な最良の事例を参照するよう、締約国に強く勧奨する。
10. 関係者間の対話を継続することを勧奨する。」

1.3. 上記の重要決定の実施の背景

• 重要決定のフォローアップ

2016年の第40回世界遺産委員会では、韓国と日本の両国が、前年に行った約束を再確認した。 (UNESCO WH 2016, pp. 15–16)

2018年に決定42 COM 7B.10が採択された後、韓国は「韓日の二国間対話」の継続と、日本の「明治産業革命遺跡」の「歴史全体の説明に関する作業を進めるにあたって、最良の説明戦略」を考慮することを日本に希望すると表明した。(UNESCO WH 2018a, pp. 215–216) 日本は決定の採択を歓迎し、2015年と2018年に委員会が行った勧告の完全な実施と、2015年の声明で行った約束の実行を改めて表明した。(UNESCO WH 2018a, p. 216)

2019年7月の第43回世界遺産委員会、および2019年11月の第22回世界遺産条約締約国総会において、韓国は「異なるコミュニティや民族の間で異なり、さらには相反する意味」、すなわち世界遺産の「歴史全体」を考慮した説明戦略の重要性を強調し、「日本政府は、委員会が勧奨する対話についてこれまでのところ意欲を示さなかった 」と指摘した。また、同国は委員会の信頼性が危機に瀕していることも指摘した。(UNESCO WH 2019, p. 30 及び WHC 2021, Document III) 韓国が 2019年7月に提出したコメントに対し、日本は、2015年と2018年に委員会が出した勧告を実施または実施しつつあると述べた。 (UNESCO WH 2019, p. 37)

• 日本から提供された情報

日本は2017年11月に保全状況報告書を提出し、続いて2018年1月に事実誤認を修正した改訂版を提出した。日本は、この報告書が地区別保全協議会との協議を経て作成され、この資産のために設立された産業遺産専門家委員会の国内外のメンバーからの助言を考慮していることを強調した。この報告書は一連の資産全体のために設置された「明治日本の産業革命遺産」保全委員会の承認を受け、資産保全のための戦略的枠組に沿ったものである(内閣官房2018)。
内閣官房は、登録時に委員会が行った勧告g)を参考に、独立した国際的な専門家による完全な説明の監査、ICOMOSの「文化遺産の説明とプレゼンテーションに関する憲章」(ENAME憲章.2008)、およびの文化遺産の説明とプレゼンテーションに関するICOMOS国際学術委員会委員長による具体的な助言に基づいて、説明戦略を策定した。 (内閣官房2018年、pp.41, 381)。 進捗状況の概要は以下のとおりである。

- 一連の遺跡に共通の説明資料には、顕著な普遍的価値のほか、鉄鋼、造船、炭鉱の歴史に関する情報も含まれる。各遺跡に特有の説明は、23の構成部分と、その顕著な普遍的価値、国及び地方の価値への貢献に関するものである。(同書, pp. 43, 371)

- 各遺跡の歴史全体は、構成資産により、顕著な普遍的価値のある期間(1850年代から1910年まで)と、1850年代以前の期間、1910年から現在までの期間で構成されている。 (同書, pp. 50–51)

- 「戦前・戦中・戦後の在日朝鮮人に関する調査、朝鮮人労働者の徴用政策に関する調査」など、各遺跡の歴史全体を反映させるための歴史調査や口述証言の収集を行う。(同書, p. 51)

- 産業遺産情報センターは、「産業遺産保護の普及・啓発に貢献する『シンクタンク』として」東京に設立されることになった。それは資産全体の情報を中心に、「労働者の物語を含めた産業遺産の情報」を展示する。(同書, p. 52)

- 情報は日本語、英語、中国語、韓国語で提供される(同書, p. 375)。

- 説明の媒体としては、3Dリソース、2つのウェブサイト、地図、アプリ、体感型マルチディスプレー・プラットフォームなどがある。(同書, pp. 52–53, 382–396)

2019年11月、日本は別の説明監査に基づいて、再度保全状況報告書を提出した(内閣官房2019)。この報告書は、内閣官房、地方自治体、構成資産の所有者などが共同で作成したものであり、戦略的枠組と、2015年と2018年の委員会決定に対応した進捗報告に基づいている。進捗状況の概要は以下のとおりである。

- 報告書は、決定42 COM 7B.10の第9節について、「説明戦略に基づき、説明は適切に実施された」と結論づけている。(同書、要旨)

- 第10節に記載された関係者との対話については、関係省庁、地方自治体、構成資産の所有者、経営者、国内外の専門家、地域社会、商工会議所、観光協会などの「関係者と定期的に協議を行ってきた」としている。「国内外の専門家」で構成される「産業遺産専門家委員会」と関係省庁と地方自治体で構成される「『明治産業革命遺産』保全委員会」が設置された。(同書、pp.42-44)

2020年に日本が提出した保全状況報告書によると、以下のような進捗が見られる。(内閣官房 2020):

- 産業遺産情報センターは2020年3月31日、「日本の明治産業革命遺跡を中心とした日本の産業遺産の総合的な情報発信拠点」として東京都新宿区に開設された。 (同書 p. 6)

- 産業遺産情報センターでは、各構成部分の「歴史全体」についての説明と展示が行われている。(同書 pp. 2, 8, 14)

- 日本は、「朝鮮半島等から来た元民間人労働者などを含む労働者に関する第二次世界大戦中の作業現場での産業労働の情報 」を収集した。産業遺産情報センターは、「訪問者が募集・配置・徴用・送還や証言を理解できる」一次資料(法律・告示・公文書・関連団体・法人の文書)や、戦前・戦中・戦後の新聞記事・出版物・書籍その他の資料を収集・保管している。(同書, pp. 2–3, 8, 18)

- 日本の徴用政策に関する情報は産業遺産情報センターに展示されている。 (同書, p.18)。

- 世界遺産の説明とプレゼンテーションに関するICOMOS国際学術委員会の委員長をはじめとするICOMOSの専門家が、国際的な最良の世界遺産の説明とプレゼンテーションの実例を紹介した。(同書, p. 13)

東京産業遺産情報センターは内閣官房から委託され、説明監査により認められた報告書案を2021年6月に調査団に提出した。それは2021年4月21日の産業遺産の国際的な専門家による産業遺産情報センター訪問に基づいている。報告書には次のように記されている。 (Gamble 2021):

- 産業遺産情報センターは「産業労働と労働者の生活を含む国内外の産業史と遺産」に焦点を当てた「研究・情報施設」である。(同書, pp. 3–4)

- メイン展示(ゾーン2)では、「世界遺産を構成する23の構成遺跡の『歴史全体』を対話方式で紹介」している。 (同書 p. 5)

- レファレンスルーム(ゾーン3)は、日本の産業史に関する文書館と図書館の機能を持っている。各遺跡との関連にしたがい、1850年代以前、1850年代から1910年、1910年以降の3つの時代を網羅した資料を収録している。 それは産業労働、特に第二次世界大戦中の端島に焦点を当てている。日本、韓国、その他の国の元労働者を含む70以上の口述証言がある。戦時中の日本における徴用工に関するものも含めて、継続的に資料を収集・評価している。(同書 pp. 5–6, 23, 24)

- ガイドやアプリ・音声ガイドは複数の外国語に対応している。 (同書 p. 25)

• 韓国から提供された情報
2020年に世界遺産センターに送られたいくつかの通信(下記参照)の後、韓国は2020年11月に、日本の「明治産業革命遺跡」に関する2015年と2018年の委員会決定の実施に関する機密審査報告書を付属資料とともに提出した。この報告書は、報道資料や証言などの資料を幅広く収集・検討し、また、産業遺産情報センターを訪問して作成したものである。韓国の懸念は下記のように要約できる。

- 日本が策定・実施した説明戦略は、2015年に定められた要求、すなわち各遺跡の歴史全体を認識し、強制労働の犠牲者を追悼するという要求を満たしていない。

- ランメルスベルク鉱山, フェルクリンゲン製鉄所, ツォルフェアアイン炭鉱等のような国際的な最良の資産説明が産業遺産情報センターでは考慮されていない。

- 韓国やNGOなどの関係者との対話が不足している。

• ユネスコに寄せられた通信
世界遺産委員会は、ユネスコに寄せられた関係者からの多数の書簡や資料を調査団に伝達した。その中には韓国が2015年と2018年の委員会決定の実施に関する懸念を表明した2020年の一連の書簡とメモ類が含まれている。メモ類は上述のように2020年11月に提出された審査報告書で詳しく述べられた要点を先取りしたものである。また、ユネスコは2020年2月7日に韓国と日本の間で会合が行われたことを知らされた。

• 調査団が検討したその他の背景資料
2008年に「文化遺産の説明とプレゼンテーションのためのICOMOS憲章」、略して「ENAME憲章」が制定された。その目的は、文化遺産の保存に不可欠な要素として、また、文化遺産に対する一般の人々の理解を深める手段として、説明とプレゼンテーションの基本原則を定義することである。この憲章は「説明には遺跡の歴史的・文化的意義に貢献したすべての集団も考慮に入れるべきであ」り、「説明プログラムの策定にあたっては、異文化的意義を考慮すべきである」と強調している。(ICOMOS 2008, paras.3.3 及び 3.6)世界遺産委員会の決定39 COM 8B.14と、2016年11月に開催された世界遺産の説明に関する国際会議の勧告を受けて、良心のサイトの国際連合(ICSC)は記憶遺産の説明に関する研究を委託された。この研究は「一部の世界遺産や他の基準に基づいて提案された推薦物件は、その顕著な普遍的価値の一部として、あるいはそれに加えて展示される必要のある記念すべき連想的価値を持っている可能性があ」り、資産の説明を作成する際に特に考慮されるべきであると認めている。(ICSC 2018, p.28)

• 調査前のオンラインミーティング
訪問に先立ち、調査団の専門家は、世界遺産センター、日本政府および韓国政府の代表者とのブリーフィングと情報交換会に参加した(別紙9)。これらの会議では、ユネスコに提出され、先に要約した文書やその他の情報に反映された両締約国の立場が提示された。

2.調査団

2.1. 調査団に関する基本事項

ユネスコは関係締約国およびICOMOSとの協議の後、世界遺産委員会の39 COM 8B.14および42 COM 7B.10の2つの決定とユネスコが受け取った上記の声明、報告、通信のフォローアップとして、ユネスコ/イコモス合同調査団を日本に派遣し、東京都新宿区の総務省第2庁舎別館にある産業遺産情報センターの視察を行うことを決定した。

この調査の準備は、新型コロナウィル感染症の流行にともなう諸制限のために遅延したが、最終的に2021年6月7日から9日にかけて調査が行われた。

調査団は3人の専門家で構成され、一人は東京の産業遺産情報センターを訪問し、他の2人は3日間の調査を通じてオンラインビデオで参加した。

調査団は産業遺産情報センターを2回訪問し、産業遺産情報センターのセンター長やスタッフ、日本の内閣官房や外務省の代表者と包括的な情報交換を行った。調査団は日本国と産業遺産情報センターの当局から調査の前後に送られた資料を検討した。

調査団の構成、調査プログラム、面談者リストは別紙3、4、5に記載されている。

2.2. 調査団の制約事項

今回の調査は、1人だけが訪日し、他の2人が海外にいることが大きな制約となった。しかし非常に優秀な技術チームにより、3日間の調査を通じてビデオ接続は非常に効率的に行われた。

とはいえ、3人の専門家の間での意見交換は困難であった。これを受けてユネスコは、通訳と産業遺産情報センターのセンター長だけが参加し、調査団員同士が交流できる2回目の展示訪問を調査プログラムに入れることを提案した。ユネスコのこの提案は一部受け入れられ、他の国家機関代表者は帯同しても議論に介入しないことに同意し、調査団は実際にセンター長と通訳と共に2回目の訪問を行うことができた。3人の専門家は残念ながら誰も日本語を読むことも話すこともできなかった。産業遺産情報センターは多くの情報を日本語以外の言語に翻訳してきており、産業遺産情報センターのセンター長は英語が堪能であるが、それでも調査団が提示された英語以外の資料を理解するには通訳が必要であった。二人の通訳が調査に協力した。一人は日本のコンベンションサービス株式会社から派遣され、もう一人は以前から産業遺産情報センターの通訳として関わった人のようであった。彼らは調査を通じて多大な貢献をしてくれた。

2.3. 委託事項 (全文は別紙1参照)

- 世界遺産委員会の第39回会合(2015年ボン)で世界遺産リストに登録された世界遺産「「日本の明治産業革命遺産:鉄鋼、造船、石炭鉱業」に関する産業遺産情報センター(東京、総務省第2庁舎)を視察すること。

- 世界遺産委員会が第39回会合(39COM 8B.14)および第42回会合(39COM 8B.14)で採択した2つの決定に特に注意しつつ、情報センターで提供された情報を検討すること。

- その他、訪問者に提供される情報(パンフレットその他の資料)について情報センターのスタッフと情報交換すること。

3. 問題の検討

3.1. 世界遺産委員会の関係決定により調査に含まれる重要問題の紹介

東京の産業遺産情報センターへの調査においては、その委託事項により、委員会の過去の決定や締約国の約束から生じる多くの主要な要素の検討が求められた。

- 各遺跡が顕著な普遍的価値にどのように貢献しているかを示し、各遺跡の歴史全体の理解を可能にする説明戦略(決定 39 COM 8B.14)。

- 意思に反して連れてこられ、過酷な労働を強いられた多数の朝鮮人等と日本政府の徴用政策について理解を可能にする措置(登録時における日本代表団の声明)。

- 情報センターの設置など、犠牲者を追悼するための適切な措置を説明戦略に組み込むこと(登録時における日本代表団の発言)

- 顕著な普遍的価値の対象期間中および期間外の資産の歴史全体の展示についての説明戦略及びおよびデジタル説明資料の国際的に最良の実践(決定 42 COM 7B.10)

3.2. 各重要問題に関する締約国の(実行済及び実行予定の)活動

3.2.1. 調査前に受領した資料に記載された締約国の活動の概要

説明戦略:
先に概説したしたように、2017年に説明戦略が策定、提出された。重要な3つの領域が設定された。第1と第2は顕著な普遍的価値のほか、鉄鋼、造船、石炭産業の歴史に関する情報など、一連の遺跡全体に関する通常の説明資料である。第3は23の各構成遺跡についての顕著な普遍的価値及び国や地域の価値への貢献に関する説明である(別紙7図1、2)。産業遺産情報センターは説明戦略の中の「シンクタンク」として提案された。この施設は「産業労働と労働者の生活」を含む国内外の産業史と遺跡に焦点を当てた研究・情報施設としての「情報拠点」となった。国際的な専門家が産業遺産情報センターの訪問に基づいて執筆し、日本が提出した報告書案は、説明戦略から導かれたテーマは産業遺産情報センターにおいて「バランスのとれた適切な方法で、信頼できる証拠を用いて事実に基づいて」説明されていると結論づけている。 (Gamble 2021, p. 25)

歴史の全体と構成部分:
各遺跡の歴史全体は、各遺跡との関連性に応じて、顕著な普遍的価値のある時代(1850年代から1910年まで)、1850年代以前の時代、1910年から現在までの3つの時代で構成し、後者は1940年代と日本の徴用政策を含むことが繰り返し確認されている(別紙7図4)。

犠牲者の追悼:
これらの文書には「追悼」と「犠牲者」という用語に対する明確な言及はない。産業遺産情報センターに収録されるべき口述証言は、「朝鮮人労働者」「労働者の物話」(2018年)、「朝鮮半島出身の元民間人労働者など」(2020年)である。 2021年の報告書案では、証言には日本や韓国その他の元労働者が含まれており、「戦時中の徴用工」に関する資料は継続して検討中であるとしている。

説明戦略の国際的な最良の実践:
この問題について2019年の保全状況報告書は、説明は「説明戦略に基づいて適切に実施されている」と述べている。2020年の保全状況報告書には、文化遺産の説明とプレゼンテーションに関するICOMOS国際学術委員会の委員長などのICOMOSの専門家が国際的な最良の実例について助言したことが記されている。

関係者間の継続的な協議:
関係省庁、地方自治体、構成遺跡の所有者、管理者、国内外の専門家、地域社会、商工会議所、観光協会などと定期的に協議を重ねた。

3.2.2. 産業遺産情報センターの訪問、スタッフとの交流、訪問者に配布される情報による観察

• 各遺跡がどのように顕著な普遍的価値に貢献しているかを示し、各遺跡の歴史全体の理解を可能にするための説明戦略(決定39 COM 8B.14)

2017年に策定された説明戦略についての内閣官房の広範なプレゼンテーションと、8か所の構成領域のうち7領域の説明についての地方自治体のオンラインプレゼンテーション(時間的制約のため)から、以下のような見解が得られた。

- 包括的な説明戦略は、顕著な普遍的価値の中で取り上げられている3つの産業類型(鉄鋼、造船、石炭産業)と、それらを構成する様々な部分や遺跡(世界遺産の一部や日本の他の産業遺産)との関係、それらの構成部分や遺跡間のつながり、そして各構成遺跡の3つの時代(顕著な普遍的価値の時代の前、中、後)を網羅している。(別紙7図 1-5).

- 7つの構成領域のプレゼンテーションからは、整合性のあるアプローチがはっきりと見て取れる。いずれも内閣官房が発表した「戦略」に基づいて展示している(いくつかの同じ図表を使用している)。各構成領域での説明戦略の実施は進行中である。各地の説明センターでは、世界遺産に関する情報を遺跡独自の展示にすでに取り入れ、又は計画している。

産業遺産情報センターも2017年の説明戦略に基づいていることは、その展示からはっきりと見て取れる。8つの構成領域内の遺跡が3つの産業類型の時系列的発展の中でどのように分布しているか、また、各構成領域における3つの時代の関連性を示す同じ図が、センターのゾーン1に展示されている(別紙8図13、14)。産業遺産情報センターには3つのゾーンがあり、ゾーン1ではセンターと世界遺産の紹介をしている(各ゾーンの説明と写真は別紙8参照)。

産業の類型、様々な時代、各テーマと遺跡の関係はゾーン1の他の部分にも反映されており、最も重要なのはゾーン2のメイン展示の解説の流れである。主要な解説は5つ部分に分かれ、各部分は資産の8つの構成領域要素のうち関連する遺跡を取り上げている。これらは (1)鎖国政策の下での初期の試み、(2)造船、(3)鉄鋼、(4)炭鉱、(5)産業化である。また、ゾーン2では、(三池港など)現在も使用されているために訪問者がほとんど立ち入ることのできないいくつかの遺跡について、音と映像による説明も行っている。ゾーン2の最後には、1910年を「顕著な普遍的価値」の終わりの年とした理由が解説されている。

顕著な普遍的価値を持つ時代の後(1910年以降)は、主に産業遺産情報センターのゾーン3、つまり資料室で扱われる。そこには特に日本の徴用政策や端島の労働者の物語を中心に、一次資料や二次資料、資産の歴史全体に関する情報(世界の産業遺産に関する書籍も含む)を収めている。検討結果の詳細は下記のとおりである。

2017年の説明戦略で提示されていた各種の説明ツールが開発された。中でも目を引くのは、AR(拡張現実)ガイドマップと体感型マルチディスプレイ(Liquid Galaxy)である。

- 調査団はこれまでに各構成遺跡のARガイドマップ8個のうち5個が作成されたとの報告を受けた(残りの3個は準備中、別紙8図5、6参照)。それらは23の構成遺産の間の連携の構築を目指している。これらのエリアガイドマップは専用に開発された多言語のスマートフォン用アプリケーションや、遺跡の3Dアニメーションを作成するQRコードと合わせて使用することができる。ポイント制の統合ゲームは、遺跡訪問を促進するため、地域のサービスを受けられるクーポンを獲得できる。

- 2台の体感型マルチディスプレイには、1910年以降の時代や、特定の遺跡における労働者の生活を含む23の各構成遺跡の情報が表示される (別紙8 図12 、 29). 調査団は、例えば、高島に関する情報は1980年まであるという情報を得た。新しい情報が得られれば、それを遺跡のプレゼンテーションに反映させる。日本の他の産業遺産の情報もディスプレイで見ることができる。

ARマップと体感型マルチディスプレイは、いずれも一般に公開されていない場所の情報をバーチャル訪問やデジタル再構築によって広めることができる。その他の説明ツールとしては、ゾーン2に設置されたコンピュータ画面一体型のテーブルで世界の産業遺産の比較分析や情報提供を行っているほか(別紙8 図20、21)、ウェブサイト、パンフレットやリーフレット、道路標識、日本で最も広く使われているスマートフォン用コミュニケーションアプリ(LINE)との連携、デジタルサイネージ(1台設置済み、今後も設置予定)などがある。

産業遺産情報センターは、展示や説明ツールの翻訳は現在進行中であると調査団に伝えた。壁面パネルはほとんどが日本語である。ゾーン1のいわゆる記念室に展示されている登録に至るまでの歴史や登録時の日本の声明のような登録に関する情報(別紙8図9~11)や顕著な普遍的価値の声明の一部(別紙8図13)は英語でも展示されている。ガイドとタブレットが英語で案内してくれる。タブレット端末のための韓国語版は計画中である。ARアプリは、日本語、英語、韓国語、中国語、ベトナム語に対応している。体感型マルチディスプレイの翻訳も準備中である。

説明戦略には、資産の各構成部分についての有用な年表が含まれており、各構成部分の歴史が資産の顕著な普遍的価値を代表する期間の前後にどの程度まで広がっているかを図示している。

産業遺産情報センターの展示は、(バリー・ギャンブル氏 [原注2]によると、意図的に)専ら日本の産業遺産に関するものであり、資産が顕著な普遍的価値に関係する時代を中心に、その前後の時代も含まれている。ギャンブル氏は、これは従来日本で産業遺産の認知度や評価が低かったためであると調査団に説明した。調査団は、韓国をはじめとする東アジア諸国に影響を与える活動の多くが行われ、日本の産業確立が重要な役割を果たした1910年以降の日本の政治的・軍事的な歴史がゾーン1と2ではほとんど、あるいはまったく触れられていないことに注目した。構成部分が存在する8地域のうち7地域の代表者が調査団に行ったプレゼンテーションによれば、顕著な普遍的価値に関連する時代の日本の産業遺産と資産の各構成部分については、各構成遺跡においてよく説明されているようであるが、調査団の意見としては、産業遺産情報センターでは、歴史の他の側面を紹介し資産の歴史全体の包括的な理解に資するために、もっと多くのことができるはずである。

• 多数の朝鮮人等が意に反して連行され、過酷な環境で労働を強いられたことや、日本政府の徴用政策についての理解を可能にする措置

産業遺産情報センターのゾーン1とゾーン2の展示や情報では、これらの問題について触れられていない。これらはゾーン3の限られた範囲で紹介されている。(1944年の日本の徴用政策の発表を含む)いくつかの情報はパネルで表示され、コンピュータの画面からアクセスできる(別紙8 29-30、33-34)。情報の多くは、書籍、政府記録、日記、元労働者の口述証言などの形でゾーン3に保管されている参考資料に含まれている(別紙8図31、32)。何人かの証言者の写真が大きく展示されている(別紙8図27)。彼らは以前端島(軍艦島としても知られている)に居住し、労働していた日本人と韓国人である。この資料を調査団に提供したガイドは、1916年から端島に100人単位の朝鮮人が働きに来ていて、日本人と共に「一つの島を分かち合う一つの家族」として生活し、働いていたと述べた(別紙8図28)。産業遺産情報センターのセンター長は、1939年以降、日本軍の動員に対応して、日本に連れてこられた朝鮮人労働者の数が増えたと付け加えた。調査団の質問に対し、産業遺産情報センターのセンター長らは、ゾーン3の展示は島で働いていた朝鮮人などに対する悪い待遇が話題になったため端島に焦点を当てたものになったが、他の遺跡に関する証言も得られており、展示に加えられる予定であると説明した。

ガイドによれば、インタビューを受けた全員が、端島で強制労働をさせられた人はなく、(日本人もその他の人も)島に住むすべての人が良い経験も悪い経験も分かち合ったと述べているという。その上、島の過去の状況に関する韓国の人々の話と現地の人々の話と比べると、日本人は韓国人の話の信憑性に疑問を抱くという。これらの話のいくつかはゾーン3の書架に置かれた書物に掲載されており、調査団には「議論の余地がある」ものとして提供された(別紙8図32)。調査団が「過酷な状況」について質問すると、「炭鉱は困難な活動であり、日本人などの労働者も同じように過酷な状況に置かれていた」と答えた。この段階で壁パネルで提供されていた証言はこの言葉を裏付けるものであった。いずれにせよ、当局が先に述べたように資料のプレゼンテーションはまだ進行中であり、現在行われている研究と並行して更新される予定である。炭鉱災害の新聞記事はゾーン3の研究資料に含まれている。

初日の産業遺産情報センターの調査で伝えられた調査団へのこのようなアドバイスは、2日目の端島の歴史を記録する民間施設である軍艦島デジタルミュージアムの久遠氏のプレゼンテーションで更に強調された。同ミュージアムは島が放棄されたときに残された数多くの資料を収集してきた。久遠氏によれば、端島の悪評は誤報やプロパガンダであり、ミュージアムは収集した資料の分析や口述証言により誤った情報を訂正し、歴史の「真実」を提示するよう努めているという。

朝鮮やその他の地域からの労働者の移入に関するいくつかの側面が紹介されているが、1910年以降の明治産業遺跡のいくつかの場所で朝鮮人や(戦争捕虜を含む)その他の人々が意に反して連行されて働いたことを認識するのは困難と思われ、このような歴史の側面を理解を可能にする措置が産業遺産情報センターでの資産の説明の一部として提供されていないという強い印象が調査団に残った。

• 情報センターの設置など犠牲者を追悼するための適切な措置の説明戦略への編入

世界遺産登録時の日本代表団の声明には、情報センターを設置する重要な目的(必ずしも唯一の目的ではないが)は、「犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」を提供することであるという明確な意味が込められている。特にセンターが通例のように世界遺産の敷地内や近辺に設置されず、世界遺産からかなり離れた場所に設置されたことからも、そのように言える。さらに犠牲者に関する記述の文脈からは、犠牲者とは「意に反して連れてこられ、過酷な条件で働かされた朝鮮人など」であることが示唆されている。産業遺産情報センターで歴史のこのような側面が軽視されていることは、犠牲者への追悼が未だ不十分であることを意味する。

調査団はこの点についていくつもの質問をしたが、まず、産業遺産情報センターの最大の目的は産業遺産の文脈で世界遺産の顕著な普遍的価値を紹介し称えることであるとの説明を受けた。しかし、この点に関して調査団には矛盾した情報が寄せられた。一方で、産業遺産情報センターは世界遺産への入り口として設置されたものではなく世界遺産委員会の決定を受けて設置されたものであると言い、他方で、産業遺産情報センターはそこで働いていた戦争捕虜を扱う場所ではないと言った。犠牲者を追悼する措置についての調査団の質問に対するセンター長の回答は、(日本人と外国人労働者の両方に影響を与えた)炭鉱事故などの情報がリサーチセンターの資料の中にあるというものであった。センター長は、リサーチセンター内の展示スペースは限られており、展示内容は彼らの研究に基づいたものであると付け加えた。調査団は、今日に至るまで、犠牲者を適切に追悼するものといえる展示は存在しないと認識した。

• 顕著な普遍的価値が存在する期間中および期間外の資産の歴史全体の説明に関する説明戦略とデジタル説明資料の国際的な最良の実践

世界遺産委員会は、2018年の決定42 COM 7B.10において、締約国(日本)に対し、その顕著な普遍的価値の及ぶ期間の内外を通じた資産の歴史全体の説明に関する作業を進める際に、デジタル説明資料を用い、説明戦略のための国際的な最良の実践を考慮することを強く奨励した(UNESCO WH 2018a)。

前記のように、2020年の保全状況報告書では、文化遺産の説明とプレゼンテーションに関するICOMOS国際学術委員会の委員長をはじめとするICOMOSの専門家が国際的な最良の実践について助言したことが記載されている。調査団は産業遺産情報センターで具体化された説明戦略が2008年のICOMOSの文化遺産の説明とプレゼンテーションのための憲章(略称「ENAME憲章」)に含まれる勧告に対応しているかどうかを評価した。その目的は、文化遺産の保存に不可欠な要素として、また文化遺産に対する一般の人々の理解を深める手段として、説明とプレゼンテーションの基本原則を定義することである。詳細な分析をする時間はないが、調査団には産業遺産情報センターにおいて憲章に含まれる勧告の多くが考慮されているように見えた。

この憲章は「説明には遺跡の歴史的・文化的意義に貢献したすべてのグループも考慮に入れるべきである」とし、「説明プログラムの策定にあたっては異文化的意義を考慮すべきである」と強調している(ICOMOS 2008,3.3及び3.6)。調査団の「歴史全体」に関する見解の論及の中で、調査団は産業遺産情報センターが日本国外からの労働者に関する情報を提供する際に、「遺跡の歴史的・文化的意義に貢献してきたグループ 」を考慮していたことを認める。しかし、調査団は日本代表団が声明で言及し、本報告書でもすでに述べた「犠牲者」がまだ十分に考慮されていないと認める。「犠牲者を追悼し」、産業遺産の暗部を認める最良の実践は存在し、他の産業世界遺産に実例がある。

また調査団は、ユネスコが委託した追悼の場の説明に関する最近の研究で推奨されている優れた実践から、産業遺産情報センターが多大な恩恵を受けることができると考えている。その研究は、「一部の世界遺産の資産および他の基準により提案された推薦物件は、その顕著な普遍的価値の一部として、またはそれに加えて説明される必要のある追悼に関する価値を有している可能性があり」、「資産の説明を開発する際に特に考慮すべきである」と認めている(ICSC 2018, p.28)。歴史全体についての説明戦略は、顕著な普遍的価値の後の期間については、人々が強制的に働かされていたことや軍事目的のために遺跡が使用されていたことが完全に認められている、類似の歴史を持つ他の産業世界遺産と比較して国際的な最良の実践に達していないと調査団は結論づけた。

調査団はデジタル説明資料に関して、魅力的なデジタル技術を用いた様々な説明ツールが2017年の説明戦略で提示され、産業遺産情報センターで開発されたことに注目し、高く評価した。なかでも目を引くのはAR(拡張現実)地図や体感型マルチディスプレイである。調査団は 8か所のうち5か所の構成部分のARマップがこれまでに作成されたとの報告を受けた(残りの3か所は準備中、別紙8図5、6参照)。2台の体感型マルチディスプレイには、1910年以降の時代や特定の遺跡における労働者の生活を含む、23の各構成遺跡の情報が表示される(別紙8図12、29)。

したがって調査団は、デジタル説明資料については、産業遺産情報センターは全世界の世界遺産のモデルとなりうる国際的な最良の実践の実例であると考える。

• 関係者間の継続的な対話

2018年の決定42 COM 7B.10において「世界遺産委員会は..関係者間の継続的な対話を奨励」した。(UNESCO WH 2018b)

上記の決定が採択された背景を考慮し、調査団は「関係者」とは日本の内外を含むものと理解した。

日本国内の関係者について、説明戦略の準備と産業遺産情報センターの開発のために、関係省庁、地方自治体、資産の様々な構成要素の管理者、専門家、商工会議所、観光部門、地元コミュニティと定期的に協議を行ったとの情報を調査団は得た。特に注目すべきは端島の元島民の会など、いくつかのコミュニティとの協議であり、元島民の1人は産業遺産情報センターのガイドをしている。産業遺産情報センターのセンター長は、産業遺産情報センターが韓国やその他の国の出身者と継続的に対話していると調査団に報告した。(調査団が聞くところによれば)そのほとんどが現在は日本在住者である。また、現在進行している文書研究に携わっている研究者は、韓国系の日本人を含む多文化的背景を持つ日本国籍者である。

説明戦略と産業遺産情報センターの設立については、数人の国際的な専門家が助言を求められたが、世界遺産委員会の会合で懸念を表明した国の専門家は関与せず、助言も求められていないと調査団には見えた。調査前の韓国代表とのオンラインミーティングでは、韓国の専門家には日本の専門家との定期的な情報交換を開始する準備があると伝えられた。産業遺産情報センター長は、同センターでは韓国出身の日本人研究者数名と、日本在住の韓国人研究者数名が保存記録の研究作業に参加していると説明した。

調査団は東京で収集した情報に基づき、産業遺産情報センターが多文化的背景を持つ国民や国際的な専門家の関与により世界の最良の実践を参考にして開発されたが、一部の他の関係締約国の専門家は資産の説明に関する対話に含まれていないと結論付けた。

ただし調査終了から3週間後の2021年6月30日、調査団は締約国日本が提供した、日韓間で行われた会議のリストを世界遺産センターから受け取った(別紙10)。調査団はこれらの会合の内容について何の情報も得ていないが、これらの会合は、これらの関係者間で実際に対話が続いていることの表れであると思われる。調査団は今後の対話が重要であり、追求すべきであると考える。

3.3. 調査後に受け取った文書に記載された、産業遺産情報センター長が提案した行動の概要

今回の調査で行われた意見交換を受け、産業遺産情報センターのセンター長は、産業労働というテーマをよりよく統合し、センターの展示を充実させるための追加提案を調査団に提出した。

- 記憶が記録され、産業遺産情報センターで展示され、または展示される予定の端島のコミュニティと、端島の韓国人生存者の具然喆(ク・ヨンチョル)氏の間で、公開の科学的な方法で異なる見解を検討するための対話(オンラインまたは産業遺産情報センターで直接)の機会をもつ。

- 朝鮮人の引き揚げの映像を含む、博多港や博多駅を写したGHQの25枚の写真をモニター表示。

- 明治産業革命遺産の選定過程の直接的結果として世界記憶遺産への登録が決定した山本作兵衛の注釈付き絵画と日記コレクションとの連携。

- 今後、ARガイドマップで炭鉱事故関係の慰霊碑や記念物を紹介する。

- 世界遺産であるノール=パ・ド・カレー地方の炭田地帯との将来的な共同炭鉱展、ノール=パ・ド・カレー地方の炭田地帯や体感型マルチディスプレーによる国際的な産業遺産データベースに貢献しているその他の国際的な専門家によるタブレットコンテンツへの貢献など、いくつかの国際的な協力。

4.結論

東京の産業遺産情報センターへの調査団は、その委託事項により、委員会の過去の決定や締約国の約束から生じる多くの重要事項を検討するよう求められた。これらの各事項に対する調査団の結論は下記の通りである。

• 各遺跡がどのように顕著な普遍的価値に貢献しているかを示し、各サイトの歴史全体の理解を可能にするための説明戦略(決定 39 COM8B.14): 調査団は、産業遺産情報センターで実施された説明戦略が、各遺跡が顕著な普遍的価値にどのように貢献しているかを明確に示しており、各遺跡の個別の説明プランは共通のテーマにしっかりと基礎を置いていると結論づけた。いくつかの遺跡の歴史は顕著な普遍的価値の対象期間(1850年代~1910年)の前後の期間に及んでいることが認められているが、調査団の見解では、第二次世界大戦に至る期間や大戦中の期間をわずかに扱っているだけなので、歴史全体とは言えない部分もある。

• 意思に反して連行され、過酷な労働を強いられた多数の朝鮮人等と日本政府の徴用政策への理解を可能にするための措置(登録時の日本側代表団の声明): 1944年の徴用政策が認められ、産業遺産情報センターに展示されている。多数の朝鮮人などを産業現場で働かせた政府のかつて行動については、討論の中で調査団に説明されたが、リサーチセンター内の文書資料でしか見ることができない。展示されている情報は、他国からの徴用工が当時は日本国民とみなされ、そのように扱われていたことを印象づけるものである。展示されている口述証言はすべて端島に関するもので、そこではそのように強制的に働かされた人々の例はなかったというメッセージを伝えている。したがって調査団は、意に反して連れてこられ、強制的に労働させられた人々についての理解を可能にするための説明上の措置は、現状では不十分であると結論づける。

• 情報センターの設置など、犠牲者を追悼するための適切な措置を説明戦略に組み込むこと(登録時の日本代表団の声明)): 情報センターは2020年に設置され、口述証言など、労働者の生活に関するさまざまな研究資料が収められたが、調査団は、現在までのところ犠牲者を追悼する目的に適切に役立つと言える展示はないと結論づける。

• 顕著な普遍的価値のある期間中および期間外を含む資産の歴史全体の説明とデジタル説明資料による説明の国際的な最良の説明戦略の実践(Decision 42 COM 7B.10): 調査団は、歴史全体に関連して、顕著な普遍的価値の後の期間の説明戦略は、人々が強制的に働かされてことや軍事目的での遺跡の使用を完全に認めている類似の歴史を持つ他の産業遺産と比較して、国際的な最良の実践に及ばないと結論づけた。デジタル説明資料に関しては、調査団は産業遺産情報センターが世界の他の世界遺産のモデルとなりうる国際的な最良の実践を例示していると考える。

• 関係者との継続的な協議 (決定42 COM 7B.10): 産業遺産情報センターは韓国その他の起源の多くの関係者との対話を続けており、そのほとんどが(調査団への情報では)現在日本在住者である。また、数人の国際専門家を招聘している。調査団は2021年6月30日、締約国である日本が提供した日韓の会合の一覧表文書を世界遺産センターから受け取ったことから、関係締約国、特に韓国と日本の間で何らかの対話が行われたと結論づけた。調査団はこれらの会合の内容について何の情報も得ていないが、これらは、これらの関係者間で実際に対話が続いていることの表れであると思われる。調査団は将来の対話が重要であり、追求されるべきであると考える。

要約すると、委員会の決定における多くの側面が遵守され、一部は模範的な方法で遵守され、締約国による多くの約束も満たされているが、産業遺産情報センターは締約国が登録時に行った約束や、登録時およびその後の世界遺産委員会の決定をまだ完全には実施していないとの結論に調査団は達した。

別紙(省略)

1) 産業遺産情報センター(東京)に対するUNESCO/ICOMOS調査団への委嘱事項
2) 委嘱事項で言及された世界遺産委員会の決定事項(関係段落は黄色で強調)
3) 調査団の構成
4) 調査計画(最終案)
5) 参加者リスト(公式参加者、自治体代表者、ゲストスピーカー、技術スタッフ)
6) 日本の明治産業革命遺産: 鉄鋼、造船、石炭鉱業の顕著な普遍的価値の声明
7) 日本の明治産業革命遺産群の説明戦略2017の図表資料
8) 産業遺産情報センター(東京)の写真
9) 調査団に情報を提供した主要文書一覧、各締約国代表との会合一覧
10)日本と韓国との会談一覧の文書

= 原注 =

[原注1]:「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。日本は,インフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。」(UNESCO WH 2015a, pp. 222-223)

[原注2]:バリー・ギャンブルは世界遺産アドバイザーとして推薦書の作成に携わり、その後資産に関する日本の展示を支援している。彼はオブザーバーとして調査全体に立ち会い、調査団と日本の政府代表との事前会合にも出席した。

= 訳注 =

[訳注1]:英語原文はユネスコwebサイトの下記のページからダウンロードできるhttp://whc.unesco.org/document/188249

[訳注2]:この声明は外務省の下記のサイトに掲載されているhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/pr_pd/mcc/page3_001285.html

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