(要旨)
1 日韓請求権協定第2条1項は「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」と規定している。日本政府はこの条項により韓国人との間の戦後補償問題が解決ずみであるとの見解を繰り返し表明している。しかし、実は日本政府の法律解釈はこれとは異なっており、上記の見解は一種の政治的プロパガンダである。
2 日韓請求権協定(1965)以前のサンフランシスコ平和条約(1951)、日ソ共同宣言(1956)にも類似の請求権放棄条項がある。これらの条約により相手国(アメリカ、ソ連)に対する損害賠償請求権が失われたとして、原爆被爆者とシベリア抑留被害者が日本国に補償を求める訴訟を提起した。これに対し被告の
日本国は、「条約によって放棄されたのは日本政府の外交保護権であり、個人(被爆者、抑留被害者)の損害賠償請求権は失われていないから、日本国は補償責任を負わない」と主張した。
3 日韓請求権協定締結時にも、外務省当局者は「完全かつ最終的に解決」とは外交保護権の放棄を意味するに過ぎず、個人の請求権は失なわれないから、朝鮮半島に資産を残してきた日本国民に対して日本国が補償する責任は負わないと説明していた。
4 1990年代に国会で追及を受けた結果、日本政府は韓国人被害者についても日韓請求権協定で放棄がされたのは外交保護権にすぎず、個人の請求権は消滅していないことを認めた。その後約10年間、多数の戦後補償裁判の中で日本政府が「日韓請求権協定で解決済み」との主張を行うことはなく、外務省発行の文書にも「請求権放棄条項で放棄したのは外交保護権であるというのが日本政府の一貫した見解」と明記された。
5 ところが2000年になり、戦後補償裁判の中で「時効」や「国家無答責」等の争点について日本政府に不利な判断が出るようになると、日本政府は突然主張を翻し、戦後補償問題は条約の請求権放棄条項で解決済みとの主張をするようになった。日本人被害者から補償請求を受けた時と外国人被害者から賠償請求を受けた時に正反対の解釈を主張したのである。2007年の最高裁判決は日本政府のこの主張を基本的に認めてしまったが、「請求権放棄条項で失われたのは被害者が訴訟によって請求する権能であり、被害者個人の実体的権利は失われていない」と判示した。最高裁がこのように判断した以上、日本政府の解釈もそれに従っているはずであるが、その後も日本政府は「個人の実体的権利は失われていな
い」との部分を「省略」し、「日韓請求権協定により解決済み」とのコメントを繰り返している。
6 これに対し韓国政府は1965年の日韓請求権協定締結以来、同協定により被害者個人の請求権が消滅したとの見解に立っていた。ようやく日本政府が外交保護権放棄説に立っているこ
とが知られるようになり、2000年に請求権協定で放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は消滅していないとの趣旨の外交通商部長官答弁が行われた。2004年の民官共同委員会見解では「日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍・国家権力が関与した反人道的不法行為」については請求権協定で解決されたとみることはできず、「サハリン同胞問題、原爆被害者問題」も請求権協定の対象外であるとされた。さらに2012年の大法院判決は「反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権」は日韓請求権協定の適用対象ではなく外交保護権も放棄していないとして、強制動員労働者の問題も日韓請求権協定で解決していないと判示した。
7 このように日韓両国の日韓請求権協定解釈は著しく変遷している。ただし、現在の両国の解釈では、日韓請求権協定で被害者個人の賠償請求権(実体的権利)が消滅したのではないことについては一致しており、争点は外交保護権の有無と訴訟により請求する権能の有無の二点である。ところで、日本の裁判所による解決の可能性はすでに消滅しており、訴訟権能の問題は過去の争点である。また、外交保護権の問題は個人と企業・国との間の交渉等においては直接関係のない問題である。こうしてみると、両国の日韓請求権協定解釈の対立はそれほど大きなものではなく、日韓請求権協定が戦争・植民地被害者の権利回復の障碍になっているわけではない。
追記
2015年末に日本軍「慰安婦」問題について日韓両国政府が合意し、この問題は「最終的かつ不可逆的に」解決されたとの声明が発表された。合意内容については様々な意見があろうが、従前の大法院判決の論理からみて、日本軍「慰安婦」被害者個人の賠償請求権(実体的権利)がこのような政府間の行政協定により消滅することはありえず、「最終的かつ不可逆的に解決」との文言は韓国政府の外交保護権放棄を意味するに過ぎないことは明らかである。