6 第三共和国憲法(1962)
1)第三共和国憲法制定の経緯
民主党新旧派の対立やデモの頻発などの混乱に乗じ1961年5月16日、朴正煕(パク・チョンヒ)らの若手将校らがクーデターを引き起こした。これに対し尹潽善(ユン・ポソン)大統領はクーデター勢力から大統領の地位保全の約束を受けて懐柔され、張勉(チャン・・ミョン)総理はクーデター勢力の鎮圧を命ずることもなく逃亡した。
クーデター勢力は超憲法的な「国家再建非常措置法」を制定して国家を支配した。同法によればクーデターを引き起こした現役将校らによる「国家再建最高会議」が国会の権限を代行し、内閣首班は「国家再建最高会議」が任命し、内閣は「国家再建最高会議」の統制下に行政を行い、国民の憲法上の人権は「革命課業遂行」に抵触しない範囲内で保障されるというものであって、完全な憲法破壊、立憲主義の否定であった。
ただし、政権基盤が不安定な軍事政権としては国際的な承認ないし黙認を獲得することが急務であったため、1962年8月、翌年中に政権を民間政府に移譲して憲法を制定することを公約し、憲法審議委員会を発足させた。この審議委員会には憲法学者らが参加し、アメリカの学者の意見を聴取するなどした。(このため、第三共和国憲法は従前の憲法に比べて非常に整理された憲法となり、現行憲法も第三共和国憲法の骨格を引き継いでいる。)憲法審議委員会の作成した憲法草案は1962年12月17日の国民投票で確定された。
その後、軍事政権は憲法施行を4年延長すると宣言したが、国民の反対と国際的な圧力に屈して撤回し、1963年10月に大統領選挙と国会議員選挙を行い、大統領選では朴正煕が尹潽善を僅差で抑えて当選、国会議員選挙では与党の共和党が多数を占め、12月17日の国会開院によって新憲法が発効した。
2) 第三共和国憲法の特徴
① 前文
初めて前文を改正し、「4.19義挙と5.16革命の理念に立脚し…」との文言を挿入した。また、この憲法は従前の憲法の改正規定によって改正されたものではないが、「1948年7月12日に制定された憲法をここに国民投票により改正する」として連続性をあえて強調した。
② 政党
第二共和国憲法で国民の権利と義務の章に規定された政党の国家保護等の規定は総綱(7条)に移され、複数政党制の保障が新たに加えられた。一方で政党の組織と活動が民主的でなければならないことが規定され、政党解散の裁判は大法院の権限とされた。また、大統領候補や国会議員候補になろうとするものは所属政党の推薦を受けなければならないとの規定が新設され、(64条3項、36条3項)、任期中に国会議員が合併や除名以外の理由で党籍を離脱・変更した場合には資格を喪失するものとされた(38条)。
③ 基本的人権
第2章の冒頭(第8条)に「全て国民は人間としての尊厳と価値を有し、このため国家は国民の基本的人権を最大限に保障する義務を負う」との規定が挿入され、基本的人権の理念的基礎と国家の人権保障義務が明らかにされた。また、職業選択の自由(13条)と良心の自由(17条)が新設され、検閲制度、集会・結社の許可制が禁止された(18条)。
社会権については「全て国民は人間らしい生活をする権利を有する」との基本規定を新設し、従来は労働能力喪失者の国家保護受給権としてしか規定されていなかった権利主体を拡大し、全国民の権利であることを明らかにした。
④ 統治機構
大統領は国民の直接選挙により選出され、行政権は大統領を首班とする政府に属し、大統領は外国に対して国家を代表する(63条)。すなわち、李承晩(イ・スンマン)政権時代の大統領中心制に回帰した。副統領制は廃止され、国務会議は決議機関ではなく、審議機関とされた(83条)。
参議院は廃止されて国会は単院制に戻り、法律案に対する大統領の再議要求権が復活した。
⑤ 司法
憲法裁判所は発足しないまま廃止され、違憲立法審査権は大法院に委ねられた。弾劾事件については弾劾審判委員会が新設された(62条)。裁判官選挙人団は廃止され、裁判官推薦会議が新設された(99条)。
⑥ 経済
経済の章が整理され、「個人の経済上の自由と創意を尊重することを基本とする」として資本主義経済の原則を明記した。