10 第六共和国(現行憲法)の成立(1987)

1)第六共和国憲法制定の経緯
 新軍部政権は金大中(キム・デジュン)を内乱陰謀などにより逮捕(死刑判決、無期に減刑、アメリカへ出国)、金泳三(キム・ヨンサム)を自宅軟禁するなど野党や言論を激しく弾圧した。しかし、学生を中心とする反政府運動はやむことがなく、光州事件の真相究明とともに大統領直接選挙制を強く要求した。ウォン安に支えられて経済は順調に成長し、政府は国際的イメージ改善のためオリンピックを誘致し、プロスポーツを振興するなどした。しかし、皮肉にも経済成長により生活が向上した市民は旧態依然の独裁政権に反感を示すようになり、1985年の国会議員選挙では与党148議席に対し第一野党の新韓民主党が103議席を獲得するまでになった。第5共和国憲法では大統領任期は7年、重任は認められず、大統領の任期延長又は重任制変更の改憲は改憲当時の大統領に適用されないこととされていたので、大統領が合法的に重任することは不可能だった。全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領はクーデターの同僚であった盧泰愚(ノ・テウ)を後継者に指名し、1987年4月に「護憲宣言」を行い、次回大統領選挙も大統領選挙人団による間接選挙制によることを明らかにした。しかし、学生の拷問死事件をきっかけに大統領直接選挙を求める民衆の声は爆発的に広まり、6月には全国で180万人がデモに参加する未曾有の事態に発展した。ソウルオリンピックを翌年に控えた政府は力による弾圧を断念し、6月29日に次期大統領候補盧泰愚が「民主化宣言」を発表し、大統領直接選挙制を含む改憲を受け容れた。与野党の合意により作成された憲法案は9月18日に国会に提出され、10月12日に可決、10月27日の国民投票で確定され、29日に公布された。

2)第六共和国憲法の特徴
① 前文
 「大韓民国臨時政府の法統と不義に抗拒した4.19民主理念を継承し、」として、第5共和国憲法で削除された4.19革命に関する言及を復活し、初めて大韓民国臨時政府の法統の継承者であることを明記した。
② 総綱
 在外国民の国家保護について国家の義務であることを明記した(2条2項)。
 平和的統一政策の樹立推進が国家目的であること(4条)、国軍の政治的中立性を明記した(5条2項)。
③ 国民の権利と義務
 身体の自由について適正手続の原則を明記し、逮捕・拘束の事実について家族等への通知が義務付けられた(12条5項)。
 言論出版、集会・結社に対する許可制、検閲制が明文で禁止された(21条2項)。 刑事被害者の陳述権、国家から救助を受ける権利が新設された(27条5項、30条)。大学の自立性の保障が明記された(31条4項)。
 最低賃金制の施行義務付けられ(32条1項)、女子労働者への差別が禁止された(同4項)。
女子、老人、青少年の福祉向上、災害予防、快適な住居生活のための住宅開発政策、母性の保護についての国家の義務が定められた(35条、36条)。
④ 統治機構
 大統領選挙は国民の直接選挙制に改められ(67条)、任期は5年となった。大統領の緊急措置は交戦状態において国会の集会が不可能なときに限定するなど著しく縮小された(74条)。大統領の国会解散権は廃止され、国会の国政監査権が明記された(61条)。
⑤ 司法
 憲法委員会に代わって憲法裁判所が設置された(第6章)。憲法裁判所は全て裁判官の資格を有する9人の裁判官で構成される常設の司法機関である。違憲立法の審査、弾劾の審判、政党の解散の審判のほかに国家機関等の権限争議に関する審判と憲法訴願に対する審判も担当することになった(111条)。

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