5 反民主行為遡及処罰改憲(1960)
1) 第四次憲法改正の経緯
新憲法の下で1960年7月29日に行われた民参両議院選挙では民主党が圧勝し、国会は大統領に尹潽善(ユン・ポソン)、国務総理に張勉(チャン・ミョン)を選出した。しかし、圧倒的多数議席を得た民主党内では尹潽善らの旧派と張勉を領袖とする新派の争いが激化し、憲法上は儀礼的大統領に過ぎないはずの尹潽善が最高権力者として振る舞おうとするなど混乱が続いた。街ではデモのやむ日がなく、4月革命を支えた学生らは李承晩政権下での不正選挙やデモ弾圧に関与した者に対する処罰や旧体制下での不正蓄財者への追及が不徹底であることに反発していた。その結果、国会の議場を反民主行為者処罰を求める学生らが占拠する事態にまでいたり、このような国民の声に応えなければ政権基盤が危機に陥ると考えた民主党は遡及処罰を可能にするための改憲案を国会に提出して両院で可決した。
2)韓国憲法第5号の特徴
憲法本文には改正点がなく、 附則に反民主行為等の遡及処罰を可能にする規定を置いた。すなわち、1960年3月の不正選挙関与者と不正選挙に抗議する国民を殺傷するなどした者の処罰、同年4月26日以前に特定地位を利用して反民主行為を行った者の公民権制限、地位権力を利用した不正蓄財者に対する行政・刑事処理のための特別法を制定し、これらを管掌する特別裁判所と特別検察部を設置できる旨を規定したのである。
憲法23条に遡及処罰の禁止が定められているにもかかわらず、このような憲法原則に対する重大な例外を、憲法とそれに基づく政府が成立したのちに憲法改正という手続で行ったことについては仮に民主化の徹底という目的のためであったとしても立憲主義からの逸脱であるとの批判がある。