第二次世界大戦には国民徴用令による軍属としての動員にはじまり、事実上強制である志願兵、そして最後は徴兵により約40万人の朝鮮人、約21万人の台湾人が軍人・軍属として動員された。そのうち約15万人の朝鮮人、約3万人の台湾人が戦死し、さらに多数が負傷した。戦後、日本人の戦死・戦傷者には援護立法による補償が行われたが、日本兵として戦った朝鮮人・台湾人軍人軍属は外国人であるとして補償から排除された。特に重度の後遺障害を負った戦傷者の場合、同様の境遇の日本人には生涯で2億円以上の年金が支給されるのに対して旧植民地出身者は全く無補償のまま放置された。
原告らのうち8名は海軍軍属、1名陸軍兵士として負傷し、上肢切断や失明などの重度の障害を負った者、4名は陸軍軍属として職務従事中に死亡した者の遺族である。裁判所は原告らの請求を認めなかったが、原告らの運動の一つの成果として1987年に「台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律」が制定され、被害者一人当たり200万円の弔慰金・見舞金が支給された。しかし、この金額は日本人戦傷者に対する補償より二けた少ない金額である。
一審判決(東京地裁1982年2月26日判決)は被害事実を認定したが、ここでは、より詳細な原告の主張(判決中に「請求の原因」として引用された部分)を紹介する。
原告陳石一は15歳の時に朝鮮から来日し船員として働いていたが、20歳の時に船ごと徴用され、海軍軍属となった。1945年に船が米軍機の攻撃を受け、左足を失った。原告石成基は1942年に海軍軍属として徴用されてマーシャル群島に送られ、米軍機の機銃掃射を受けて右腕を失った。両人とも戦後は日本で生活したが、日本国籍を失ったとして戦傷者援護から除外されたため、「傷痍軍人会」をつくり大島渚監督のドキュメンタリー「忘れられた皇軍」の制作に関与する等して補償を訴え続けた。
原告らが日本人として戦争に動員され、重篤な障害を負いながら戦後は外国人であるとして援護法による補償から排除された事実については当事者間に争いがなく、一審判決(東京地裁1994年7月15日判決)は非常に簡潔に事実を摘示している。
原告は1942年、17歳のときに志願して日本陸軍に入隊し、各地を転戦したが、ビルマで迫撃砲により負傷し、野戦病院に入院中に爆撃を受けて右腕を切断した。
しかし、戦後は国籍条項により援護法の対象から除外され、同様の境遇の日本人が1人当たり生涯累計2億円以上の補償を受けたのに対し、原告は全く無補償のまま放置された
原告が日本軍人として戦争に動員され、重篤な障害を負いながら、外国人であるとして日本政府から一切の補償を受けられなかった事実については当事者間に争いがなく、一審判決(東京地裁1998年6月23日判決)は非常に簡潔に事実を認定している。なお、同判決は原告の請求を棄却したが、「原告の憤懣やるかたない心情とその境遇は想像を絶するものがあり、同情を禁ずることができない」と述べている。
原告らは軍人・軍属・徴用工などの強制動員被害者とその遺族であり、太平洋戦争被害者光州遺族会の会員である。
一審判決は被害事実をきわめて簡潔に認定したが、ここでは 軍人・軍属・戦死者遺族原告の本人尋問調書を紹介する。
原告らは労務者、軍属、軍人として強制動員された被害者本人及び遺族であり、江原道の太平洋戦争被害者遺族会の会員である。
一審判決(東京地裁1996年11月22日判決)は事実認定を行わず、原告の主張を整理して別紙として添付した。ここでは元軍人・軍属原告の主張事実を紹介する。
第二次世界大戦中、多くの朝鮮人軍属が捕虜監視員として動員され、その結果戦後148名の朝鮮人がBC級戦犯として有罪判決を受け、うち23名が処刑された。原告のうち1名は刑死者の遺族、7名は戦犯として服役した者である。
一審判決(東京地裁1996年9月9日判決)は被害事実を認定しているが、一審判決に「原告の主張」として添付された原告準備書面の事実主張部分が非常に詳細なので、ここではそれを紹介する。
原告らは現在イギリス・アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド国籍の元捕虜、元民間人抑留者である。シンガポール、フィリピン、台湾などの収容所に抑留され、餓えに苛まれ、暴行を受けながら労働を強いられた。
一審判決(東京地裁1998年11月26日判決)は事実を認定せず、原告の主張として要約して摘示した。
日本軍は1942年3月までにオランダ領東インド(現インドネシア)全域を占領し、捕虜収容所に99000人の捕虜、抑留所に約80000人の民間人を収容した。原告らは餓えと日常的な暴行に苦しみながら泰緬鉄道建設などの重労働に酷使された。
一審判決(東京地裁1998年11月30日判決)は原告らが主張する各被害事実を証拠等により認めることができるとして事実を認定した。左の書面はこの判決中、捕虜・民間抑留者原告に関する被害事実の部分である。