目 次

Ⅰ.はじめに

 日本軍「慰安婦」被害者が韓国の裁判所で日本国に賠償を請求した3件の訴訟がすべて原告の勝訴で終わった。2021年1月8日の1次訴訟ソウル中央地方法院判決、2023年11月21日の2次訴訟ソウル高等法院判決、そして2025年4月25日の3次訴訟清州地方法院判決である。
 筆者は日本弁護士連合会(日弁連)人権擁護委員会の下にある日韓戦後未処理問題弁護士共同行動特別部会(日韓部会)の委員をしている。2010年、韓国併合100周年の年、大韓弁護士協会(大韓弁協)から日弁連に「日本軍『慰安婦』問題を含む強制動員による被害等、日韓の未解決の戦後処理問題について両国の弁護士が共同で法的問題と解決策を検討してはどうか」という提案があった。日弁連はこれに応えてワーキンググループを設置して大韓弁協と協議し、2010年12月11日に東京で日韓弁護士会の共同シンポジウムを開催して共同宣言を発表した。その内容は、過去の歴史認識の共有が未来の良好な日韓関係の礎であることを確認し、日韓会談関連文書の両国での全面公開、日本での日本軍「慰安婦」被害者、強制動員被害者の人権回復立法、年金問題、戦没者・戦傷者援護、遺骨収集、文化財返還などの課題に共に取り組んでいくことを誓約するものだった。そしてこの課題を協力して進めていくために日弁連は上記の日韓部会、大韓弁協は人権委員会の傘下に日帝被害者人権特別委員会を設置し、両者が定期的に日韓協議会を開催して情報交換や議論をしつつ共同宣言の内容の実現を図ることになった。残念ながらその後の日弁連が共同宣言の誓約を誠実に実行してきたとは言いがたいが、日韓部会と特別委員会による日韓協議会は曲がりなりにも15年にわたって継続されている。
 大韓弁協の特別委員会には進歩と保守、若手とベテランなど、志向や年代を問わない多彩な委員が選任されていて、1次訴訟、2次訴訟の原告代理人の多くは特別委員会の委員だった。そのため、筆者はこれらの訴訟の提起からその経緯を近くで知ることができた。特に2次訴訟の代理人からは主権免除に関する日本語文献の収集を依頼され、筆者がこの裁判に関わるきっかけとなった。こうして、訴訟の争点となる理論的問題を韓国の弁護士と議論したり、証人として韓国の裁判所で証言するという貴重な体験をすることができたのである。
 これらの訴訟の意義や経緯についてはその都度雑誌や市民運動の機関紙等に短文を寄稿してきたが、すべての裁判で原告が勝訴した機会にそれらを整理して記録に残すことにしたい。

Ⅱ.日本軍「慰安婦」被害者の韓国裁判所における法廷闘争

 1.日韓会談関連文書公開請求

 現在までに韓国の裁判所で戦争・植民地被害者によるいわゆる戦後補償裁判が約60件提起された(1)。そのうち日本軍「慰安婦」被害者らによる法廷闘争の始まりは2002年に提訴された日韓会談文書公開請求訴訟である。同年、日本軍「慰安婦」を始めとする韓国の戦争・植民地被害者らが情報公開法にもとづいて日韓会談関連会議録などの公開を請求をした。しかし韓国政府はこれらの文書は情報公開法所定の「公開される場合…国家の重大な利益を害する虞れがあると認められる情報」であるとして公開を拒否した。被害者らは、日韓請求権協定により被害者らに対する賠償問題は解決済みという日本政府の主張の当否を判断するためには当該文書を通じて請求権協定締結の経緯などを検討する必要性があるとして、拒否処分の取り消しを求めて提訴した。2004年2月の一審判決は一部の文書について原告らの請求を認め、韓国政府( 盧武鉉 ノムヒョン 政権)はいったん控訴したものの、後に控訴を取り下げて関連文書を全面公開した。

 2.民官共同委員会見解

 韓国政府は公開後の措置を検討するために共同代表2人と政府委員9人、民間委員10人(法律・歴史学界、言論界、宗教界、被害者団体など)からなる民官共同委員会を設立した。2005年8月、同委員会は討議の結果をまとめて委員会見解を発表した。その主な内容は次の通りである。

「〇 韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約4条に基づく韓日両国間の財政的・民事的債権債務関係を解決するためのものであった。
○ 日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている。」

 民官共同委員会の共同代表は 李海瓉 イへチャン 国務総理(当時)であり、これは事実上韓国政府の公式見解であった。

 3.憲法裁判所の違憲決定

 上記の見解は日本軍「慰安婦」問題も日韓請求権協定で解決済みとする日本政府の見解と正面から対立する。しかし、韓国政府は日本政府との解釈の相違を解決するために日韓請求権協定3条(2)の定める外交経路による解決や仲裁手続を行おうとしなかった。
 これに対し日本軍「慰安婦」被害者らは2006年8月、韓国政府の不作為により憲法上の基本的人権を侵害されたとして、違憲確認を求めて憲法裁判所に憲法訴願の請求をした。憲法裁判所は2011年8月30日、国家は人間の尊厳を侵害された国民に対する憲法上の保護義務を負っており、日韓請求権協定3 条の手続により日本との解釈上の紛争を解決して請求人らの人権を保護する作為義務があったが、韓国政府がこの作為義務を怠ったとして請求人の主張を認容する違憲決定を宣告した。

Ⅲ.日本国に対する訴訟の始まり

 1.日本政府の協議拒否と1次訴訟

 違憲決定を受けて韓国政府( 李明博 イミョンバク 政権)は 2011年9月と11月の2度にわたって日本政府に日韓請求権協定3条1項による協議の申し入れを行った。しかし日本政府は「日韓間に条約上の紛争は存在しない」としてこれを無視した。(3)
 このような状況を見て、「ナヌムの家」で暮らす12人の被害者らは 2013年8月13日にソウル中央地方法院に日本国を相手方とする調停の申立を行った。韓国政府との協議を拒否している日本政府も被害者からの直接の要請があれば対話に応じるのではないかと期待したのである。「ナヌムの家」は篤志の僧侶が個人的に設立した日本軍「慰安婦」被害者の共同生活施設だが、その後の曲折を経て、韓国最大の仏教宗派である曹渓宗が運営している。調停事件の申立人代理人はナヌムの家の顧問弁護士のK弁護士が担当した。K弁護士は大韓弁協特別委員会の初期の委員である。母親が日本軍「慰安婦」としての動員を危うく免れる体験をしており、日本軍「慰安婦」問題に熱心に取り組んでいた。
 申立の頃の日韓協議会で、調停不成立の場合には主権免除の問題が生ずることになるが、どのように対応するつもりかと筆者がK弁護士に質問したことがある。K弁護士の回答は、それはそれとして今は日本国との対話の場を設けることを優先したいという趣旨であった。このように、この調停は主権免除の壁を突破して日本国の責任を追及しようと意図したものではなく、日本政府との対話の場を設けることを目的としたものだった。
 しかし日本政府はこの調停手続も無視して申立書の受け取りを拒否し、約2年にわたる送達の試みも不調に終わった。2015年末に裁判所は調停をしない決定をして、韓国民事訴訟法の規定により自動的に訴訟に移行した。これを「1次訴訟」と呼んでいる。

 2.「日韓合意」と2次訴訟

 同じ2015年末、岸田外相(当時)が訪韓して韓国の 尹炳世 ユン・ピョンセ 外交部長官と会談し、日本政府(2次安倍政権)と韓国政府( 朴槿恵 バククネ 政権)の間のいわゆる「日韓合意」を行った。日本政府が韓国で設立される財団に10億円を拠出することにより「慰安婦」問題が「不可逆的」に解決され、今後国連などの国際社会において両政府は相互にこの問題について非難を自制するなどいう合意が被害者や支援団体との同意がないまま行われた。しかも尹長官はソウルの日本大使館前の「少女像」について「適切に解決する」と述べ、非公開部分には今後「性奴隷」という言葉を使用しないという内容まで含んでいた。反発する被害者らを懐柔するため、韓国政府は安倍首相に謝罪の手紙などの追加措置を要請したが、安倍首相はそのようなことを行う意思は「毛頭ない」と述べた。(4)
 長年にわたって日本軍「慰安婦」被害者を支援してきた正義記憶連帯(挺身隊問題対策協議会の後身)と進歩的な弁護士の団体である民主社会のための弁護士の会(民弁)がこの「日韓合意」について協議し、もはや韓国政府の外交保護権行使に期待することは できないとして、法的対応に乗り出すことになった。具体的には、関連文書の公開請求(5)、憲法訴願(6)、韓国政府に対する損害賠償請求訴訟(7)、そして日本国に対する損害賠償請求訴訟である。その後準備が進められ、2016 年12月28日、生存被害者11人と死亡被害者5人の遺族が原告となってソウル中央地方法院に訴状を提出した。これを「2次訴訟」と呼んでいる。弁護団の中心となったL弁護士、U弁護士、Y弁護士らは、大韓弁協特別委員会の初期の若手委員であったが、戦後補償裁判に限らない様々な人権訴訟を経験して民弁の中心メンバーとなっていった弁護士たちである。彼らと、更に若い世代の弁護士たちによって弁護団が形成された。このように2次訴訟は被害者、支援団体、弁護士が主権免除の壁を突破して日本国の責任を追及することを目標に提起された訴訟である。

 3.送達をめぐる手続の膠着

 こうして韓国で日本国を被告とする 2 件の訴訟が係属することになった。しかし、訴状などの送達によって訴訟の提起を被告に告知しなければその後の手続を進めることができない。日本政府は二つの訴訟の文書の受領を徹底的に拒否し、訴訟手続は数年間の膠着状態に陥ってしまった。その問題は後に検討することにして、まずこの訴訟の法的争点を検討しておくことにする。

Ⅳ 主権免除の国際法

 1.唯一の争点

 民事訴訟は当事者の主張と立証を基礎に行われる(弁論主義)。2 件の訴訟において日本政府は韓国裁判所の手続を無視して何の主張もしなかったので、日韓請求権協定や「日韓合意」は争点とならない。一方で、訴状が提出された裁判所にその事件を裁く権限があるかという管轄権の問題は弁論主義によらず法の規定にしたがって裁判所が職権で判断する。そこで、韓国の裁判所に日本国を被告とする訴訟の管轄権があるかという、主権免除(又は国家免除)の問題が唯一の争点となった。

 2.主権免除とは

 現在の国際社会は独立国家の集合体である。現実には一部の大国の影響力を無視することはできないとはいえ、国際社会の制度は国家は平等であるという建前によって 成り立っている (主権平等の原則)。そして、国家が平等であるなら、国家は他の国家の機関に過ぎない外国の裁判所の裁判にしたがう必要はないと考えられた。そこで、主権国家は他国の裁判権に従うことを免除されるという慣習国際法上の規則が生まれた。これを主権免除という。
 現在でも主権免除の範囲について統一的な成文規定があるわけではない。主権免除の範囲を定める条約として1972年の欧州国家免除条約があるが、加盟国は8ケ国に過ぎない。2004年には国連国家免除条約が作られたが、30国の批准で発効する規定に対し現在の批准国は13ケ国に留まり、未発効である。また、日本を含む少なくとも12ケ国(8)に主権免除の範囲を定める国内法があるが、韓国を含む大部分の国にはこのような国内法がない。このような場合、主権免除を認めるか否かは慣習国際法に基づいてその国の裁判所が判断するしかない。

 3.絶対免除主義から制限免除主義(商行為例外)へ

 かつては主権免除は主権平等の原則から導かれる絶対的な規則であるとされた(絶対免除主義)。国家によるいかなる行為も他国の裁判所における訴訟の対象とはならないのである。しかし、国際社会の発展にともない、絶対免除主義では様々な不都合が発生することが明らかとなった。
 まず問題になったのが国家による商行為である。国家が直接に貿易などの商行為の当事者となったり、代金支払の保証などを行うようになると、相手方が国家の場合には裁判で請求できないというのでは安心して取引することができなくなった。そこで19世紀末ころからイタリアやベルギーなどで、国家の行為であっても一般の人や法人も行うことができるような私法行為の場合には主権免除を認めず外国国家を被告として裁判で請求できるという国内裁判所の判決が出されるようになった。この考え方は、国家の行為を主権の行使として行う「主権行為」と一般人も行うことができる商行為などの「業務管理行為」に分類し、主権行為には主権免除が適用されるが業務管理行為には適用されないという「制限免除主義」(商行為例外)として整理され、徐々に世界の裁判所に広がって行き、100年かけて東アジアに到達した。韓国の大法院は1998年12月17日、日本の最高裁判所は2006年7月12日の判決でこの考え方を採用した。絶対免除主義の最後の牙城だった中国でも2024年1月1日に施行された国家免除法で制限免除主義を採用し、今日では制限免除主義を否定することは不可能になったと言ってよい。

 4.不法行為例外

 ところで、主権行為と業務管理行為の区別は行為の目的ではなく行為自体の性質から判断するのが通説とされるが、その区別は現実には容易ではない。特に問題となったのは領事ナンバーの自動車による交通事故である。被害者が民事訴訟を提起すると、加害者やその保険会社が運転は主権行為であるとして主権免除を主張するケースが頻発した。しかし、加害車両が外国所有のものだったということは単なる偶然であって被害者には何の責任もない。被害者保護の観点からみて、このような場合に主権免除を否定して裁判で賠償を請求できるようにする必要性は大きい。一方で、このような場合に外国を被告にして裁判を進めても、請求の内容が謝罪などではなく金銭の支払いだけで あれば、外国の主権や尊厳を侵害するとまでは言えない。そこで、領事ナンバーの自動車の運転行為自体の法的性質という不毛な議論に拘泥するのではなく、国内における外国の不法行為を原因とする金銭賠償請求訴訟ではその不法行為が主権行為であっても主権免除を認めないという判例が1960年代から欧米の国内裁判所などで積み重ねられ、国内立法や条約にも取り入れられるようになった。現在では主権免除の範囲を定める国内法を有する12ケ国のうち日本の対外国民事裁判権法10条を含む11ケ国の法律、欧州国家免除条約11条、国連国家免除条約12条に領域内の不法行為には主権免除を適用しないという規定が採用されている。

 5.人権侵害と主権免除

 自動車事故の処理から始まった不法行為例外であるが、これを認める条約や国内法は交通事故に限定することなく、法廷地国における外国の不法行為全般を主権免除の例外としている。そして、かなり以前から政治的暗殺や拷問などにも主権免除の例外を認める判例が積み重ねられてきた。

  ⑴レテリエル事件

 1976年、チリのアジェンデ政権で駐米大使や外務大臣を務めた経済学者レテリエルは、米国の首都ワシントンでピノチェト政権の国家情報要員によって爆殺された。その遺族が米国ワシントン DC コロンビア裁判所でチリ国家に損害賠償を請求した。裁判所は 1980 年の判決で、このような強行規範違反行為に対しては単にチリが主権国家であると言う理由で主権免除を認めることはできないと判断し、チリ政府に対し被害者遺族への損害賠償金の支払を命じた。(9)

  ⑵江南事件

 1984年、台湾(蔣経国政権)の前国防部情報局局長である汪希苓が、竹聯幇(台湾の暴力団のひとつ)組織員に華僑作家である江南(劉宜梁)の殺害を命じ、ロサンゼルスの自宅ガレージで暗殺した。遺族による賠償訴訟において、1993年、米国第9連邦控訴裁判所はそのような行為は主権の濫用であり、国家の公権的行為ではないとして主権免除を否定した。

 6. 人権例外

  ⑴法廷地国外での不法行為による人権侵害

 沿革的な理由から、不法行為例外を定めた国内法や条約は「法廷地国における不法行為」であることを要件としている。上記の 2 例では少なくとも不法行為一部(実行行為)が法廷地国で行われたが、逆に法廷地国外での不法行為による人権侵害の被害者の訴訟は必ず主権免除により却下されるのだろうか。不法行為地と法廷地国が一致しない人権侵害事件は珍しいことではない。例えば在韓被爆者が韓国の裁判所に米国を提訴すると不法行為地は日本、法廷地は韓国となる。中国や日本に居住していた朝鮮人女性が連行されて日本軍「慰安婦」にされた場合には、不法行為地は中国や日本、法廷地は韓国である。このような場合に被害者の要保護性において不法行為地と法廷地が一致する場合と差異があるとは思えない。
 そこで、国家中心の古い国際法から脱し、個人を国際法の主体と位置づけて行こうとする新しい国際法の流れに対応して、20世紀の終わり頃、欧米の裁判所で「人権例外」が議論され始めた。主権免除には国家の尊厳を守り外交関係を安定させるという利点があるとしても、一定の場合には法廷地と不法行為地が一致しない場合にも主権免除を否定して人権侵害を受けた被害者を救済しようというのである。

  ⑵強行規範(jus cogens)違反の行為

 条約法条約53条(10)は一般国際法の強行規範とはいかなる逸脱も許されない規範であり、これに抵触する条約は無効であると規定している。そうであれば、虐殺、強制移送、奴隷化、拷問など、国家による強行規範違反行為の被害者の訴訟が慣習国際法に過ぎない主権免除によって妨げられることは許されないと考えられる。

  ⑶裁判を受ける権利

 国家は世界人権宣言、国連憲章、人権規約、各国憲法などによって裁判を受ける権利の保障を義務付けられている。したがって、重大な人権侵害の被害者が他に救済手段がない場合に主権免除を理由に裁判を拒否することは国家の国際的義務に違反すると考えられる。
 人権例外はまだ要件が定型化されているわけではないが、このように重大な人権侵害の原因が強行規範違反であり、国内裁判が最後の救済手段である場合に典型的に主張されることになる。

  ⑷アル・アドサニ事件

 英国、クウェートの二重国籍者である実業家のアル・アドサニ氏はクウェート国家への協力を拒否して拷問を受け、英国に脱出後に英国裁判所にクウェート国家を提訴した。不法行為地はクウェート、法廷地は英国である。英国裁判所は人権例外(英国裁判所の管轄権)を否定して請求を却下したが、同氏はこの却下は違法であるとして欧州人権裁判所に提訴した。2001年の同裁判所判決は英国裁判所の判断を支持したが、この評決は9対8の僅差だった。この時点ですでに人権例外に対する賛否が拮抗していたのである。(11)

  ⑸テロ例外

 米国では1996年に外国主権免除法を改正し、米国政府がテロ支援国家と認定した国家の拷問や超法規的殺害などの行為を原因とする損害賠償訴訟では主権免除を認めないことにした。被害者が米国裁判所で勝訴すると政府が凍結した相手国の資産から弁済を受けることができるため、これは実効的な救済手段となっている。行政の判断により司法の管轄権が決定されるというシステムには問題があるが、対象が強行規範違反の行為に限定されていること、不法行為地を問わないこと、「テロ支援国家」にはテロ被害者を救済する司法制度が通常備えられていないということを考慮すると、これもひとつの人権例外と評価することができる。

Ⅴ 戦争・植民地被害者と主権免除

 1.越えがたい壁

 戦争行為は典型的な主権行為であると理解されてきたこともあって、かつては戦後補償裁判においては主権免除は越えがたい壁であると考えられていた。そのため、被害者は自国の裁判所に加害国を被告とする訴訟を提起することを回避してきた。
 例えば広島の原爆被爆者はアメリカ合衆国を被告とするのではなく、サンフランシスコ平和条約によりアメリカ合衆国に対する被爆者らの損害賠償請求権を日本政府が消滅させたとして日本国に補償請求をした(12)(原爆裁判)。同じようにシベリア抑留被害者は日ソ共同宣言によってソ連に対する賠償請求権が消滅したとして日本国に補償請求した(13)
 また、新日鉄・三菱重工に強制動員された韓国人被害者らは日本の裁判所においては企業と日本国を被告として賠償を請求していたが(14)、韓国の裁判所に提訴するにあたって被告を企業に限定した(15)

 2.ナチス・ドイツ被害者による闘い(16)

 主権免除の壁を突破して加害国の責任を追及しようという動きはナチス・ドイツによる戦争犯罪の被害者たちによって開始された。
 ドイツは戦後補償の優等生と言われているが、実際にはすべての被害者に補償したわけではない。ユダヤ人虐殺のような人種、宗教、世界観、政治的反対を理由とする「ナチスの不法」による迫害の被害者には「道義的責任を果たすため」に連邦補償法などの国内法を整備して補償してきたが、武力紛争時の民間人虐殺や強制労働など一般戦争行為による被害者は放置されてきた。(17)
 東西ドイツの統一後も、賠償から取り残された被害者らがドイツの裁判所に国際法を根拠に提訴すると、個人は国際法の主体ではないとして否定され、国内法により請求すると、戦時には一般不法行為法は適用されず補償国内法の要件にも該当しないとして否定された。そこで、1990年代から自国の裁判所にドイツを被告として提訴する被害者の動きが始まった。後述のICJ判決の事実認定によれば、ベルギー、スロベニア、ギリシャ、ポーランド、イタリア、フランス、セルビア、ブラジルの各国の裁判所にこのような訴訟が提起された(18)

 3.壁を突破したギリシャ、イタリアの被害者

 上記の訴訟の多くは主権免除を理由に却下されたが、ギリシャとイタリアの国内裁判所では異なる展開となった。
 ギリシャ最高裁判所では、ドイツ占領下の1944年にドイツ軍がパルチザン部隊による攻撃への報復として無関係の民間人214人を虐殺したディストモ事件(19)の被害者遺族が2000年5月4日の判決で勝訴した。判決は強行規範に違反する行為を行う国家は主権免除を黙示的に放棄していると判断したのである。 (20)
 イタリアでは、第 2 次大戦中にイタリアで捕えられてドイツで強制労働に従事した元軍人のフェッリーニ氏がドイツを提訴した。下級審はドイツの主権免除を認めてフェッリーニ氏の請求を却下したが、2004年3月11日の破毀院(最高裁判所)判決は国際犯罪には主権免除の適用はないとして下級審判決を破棄して一審に差戻し、これを知った 多数の被害者は同種の訴訟をイタリア国内裁判所に提起した(21)
 ギリシャで勝訴したディストモ事件原告らは法務大臣の不同意によりギリシャ国内での執行を妨げられ、ドイツでの執行や欧州人権裁判所への提訴を試みたが成功しなかった。そこで、2005年にイタリアでの執行の承認を請求して提訴し、2007年にフィレンツェ控訴裁判所はこれを認め、原告らはドイツがイタリア国内に所有する文化施設ヴィッラ・ヴィゴーニに裁判上の抵当権を設定した(22)

 4.、国際司法裁判所(ICJ)主権免除ドイツ対イタリア事件(23)

  ⑴ ドイツによる提訴   

 イタリアの訴訟手続で追い詰められたドイツは、2008年12月23 日、国際司法裁判所(ICJ)にイタリアを提訴した。イタリア裁判所による一連の主権免除否定はドイツに主権免除を与える慣習国際法上の義務に違反しているとして、イタリアの国際法違反の確認、ドイツの主権免除を侵害する決定を無効とする措置などを求めたのである。イタリアは欧州人権条約にもとづくICJの管轄権を認めて応訴し、ギリシャは非当事者として訴訟参加した。

  ⑵ 訴訟の争点   

 イタリアは、不法行為例外はすでに慣習国際法となっており、イタリアの領域内で行われたドイツ軍の不法行為についてイタリア裁判所がドイツに主権免除を適用する義務はないと主張した。これに対しドイツは、不法行為例外は未だ慣習国際法とはいえず、仮に慣習国際法であったとしても、軍隊の行為には主権免除を適用するという(例外の例外としての)慣習国際法が存在すると反論した。(争点①)
 また、ドイツが問題とした訴訟の原告の中にはイタリア領外からドイツに連行されて労働を強制された被害者もいたため、イタリアは不法行為例外とあわせて人権例外も主張した。ドイツの不法行為が国際人道法に対する重大な違反であること、違反した規範が強行規範であること、そして国内裁判所が被害者が利用できる最後の救済手段であることから主権免除は適用せずに被害者の裁判を受ける権利を保障すべきだというのである(24)。ドイツは第 2 次世界大戦当時に違法行為を行ったことについての責任は認めるが、イタリアの主張するような慣習国際法は成立していないと主張した。(争点②)

  ⑶ 多数意見

 2012年2月3日、ICJは小和田恒所長をはじめとする12人の裁判官による多数意見でドイツの請求の大部分を認めた。争点①については、不法行為例外が慣習国際法であるか否かは判断せず、争点を「武力紛争遂行過程での軍隊の行為については主権免除を適用するという慣習国際法が存在するか」に絞った。そして、その問題の国内裁判例として第 2 次世界大戦中の行為についてドイツを被告とするフランス、スロベニア、ポーランド、ベルギー、セルビア、ブラジル、イタリア、ギリシャの8件の事件を挙げ、このうちドイツの主権免除を否定したのはイタリアとギリシャだけであり、ギリシャもその後最高特別裁判所がドイツの主権免除を肯定したとして、武力紛争遂行過程での軍隊の行為については主権免除を適用するという慣習国際法が存在すると結論づけた。また、争点②についても、イタリアが主張した強行法規違反、重大な人権侵害、最後の救済手段について、各要素を分断した上で少数の裁判例を数えて否定した。また、強行規範違反と主権免除の関係については、前者は実体法、後者は手続法の問題であるから衝突は発生しないと判示した。

  ⑷ ユスフ反対意見

 ユスフ裁判官(ソマリア)は、慣習国際法は常に発展の過程にあり、国内裁判所の孤立した判決から始まり、徐々に主流になっていくのであって、各国の実行例を数え上げて相対多数により慣習国際法を認定するという多数意見の手法は常に国際法の発展を妨げる結論を導くことになると批判した。そして、少なくとも人道法に対する重大な違反があり、国内裁判所が被害者の最後の救済手段である場合には主権免除が否定されるべきであると主張した。

  ⑸ ガヤ反対意見

 ガヤ裁判官(イタリア)は多数意見と同様に人権例外を否定したが、不法行為例外と軍事活動の関係については各国の実行は多様であり、国内裁判所はこのグレーゾーンの中で多様な立場を採用することができるとして、不法行為がイタリアで行われた事件についてはイタリアの裁判権の実行は国際法上の義務違反とは言えないと主張した。

  ⑹ カンサード・トリンダージ反対意見

 カンサード・トリンダージ裁判官(ブラジル)は多数意見よりはるかに長大な、316パラグラフ及ぶ反対意見を展開した。国際法が国家中心の国際法から人権中心の国際法に発展しつつあることを数多くの学会の宣言などを引用して論証し、主権免除の分野では不法行為例外、刑事法の分野では強行規範に違反する行為に対する普遍的管轄権などが認められて来たことを示した。そして、19世紀以来の学説などから、戦争被害者個人の請求権が認められるべきであること、被害者の属する国家が被害者の請求権を放棄することができないこと、侵害された人権の回復のためには裁判が不可欠であることを強調し、閾値を超えた重大な人権侵害には主権免除が認められるべきでないと主張した。そして主権免除により強行規範違反に対する裁判の実現が妨げられている以上、実体法であるか手続法であるかに関わりなく主権免除と強行規範は衝突していると指摘した。また、主権免除の分野では新旧の見解がせめぎあっており、このような状況のなかで裁判例を数えあげても無意味であり、ICJの法源として公認されている「諸国の最も優秀な国際法学者の学説」に依拠して主権免除を否定すべきであったと多数意見を批判した。

  ⑺ コロマ個別意見

 多数意見を支持するコロマ裁判官(シエラレオネ)は、主権行為については主権免除の例外は存在せず、国際法は個人被害者の国家に対する請求権を認めていないと主張した。ただし、この判決は主権免除について判断したのみであり、国家に免罪符を与えるものではなく、問題解決のための当事者間の交渉を妨げるものではないとも述べた。

  ⑻ ベヌーナ個別意見

 モハメッド・ベヌーナ裁判官(モロッコ)は、過去の国内判例や立法例のみに依拠して国際法の発展をかえりみない多数意見のアプローチを批判し、現在の国際法の趨勢を反映すれば、主権免除は責任を認めた国家のみに与えられるものであると主張した。ただし、ドイツが第2次世界大戦中の違法行為の責任を認めていることなどを理由に多数意見の主文には賛成した。

  ⑼ キース個別意見

 キース裁判官(ニュージーランド)は多数意見を補強して、主権免除の原則が国際法秩序の基盤であることを強調し、戦争被害の補償は元来は国家間交渉によって解決されるものであると主張したが、この判決はドイツの戦時中の違法行為に対する責任を否定するものではないとも述べた。

  ⑽ 日本における否定的認識の拡大

 このICJ判決の当時、イタリアの被害軍人がイタリア裁判所でドイツを提訴して勝訴したこと、それをドイツが主権免除違反だとして ICJ に提訴し、ICJがドイツの主張を認めたことは日本でも報道されたが、日本語で判決全体が紹介されることはなかった。一方で、2018年10月30日の韓国大法院判決(新日鉄事件)の反対意見は、日韓請求権協定のような一括処理協定によって国家が相手国から補償・賠償を受けた場合、この資金が別の目的に使用されたとしても個人の請求権が消滅するという見解の根拠としてこの判決を引用した。日本の学者による判例評釈はいくつか出されたが(25)、戦争・植民地被害者の問題に焦点をあてたものは見当たらず、ネット上にはこの事件に関する国際法専攻の大学院生の論文なども散見されたが、人権例外について「やがて淘汰されていくだろう」というような論調が主流だった。戦後補償問題にかかわる人々の間でも、ICJが日韓請求権協定による解決済み論を認めたとか、被害者が加害国以外の法廷で争うことは不可能になったという悲観的認識が広まっていった

  ⑾ ICJ判決は一括処理協定について判断していない

 しかし、判決全体を熟読すると、この判決がそのようなものではないことは明らかである。まず、前記の韓国大法院判決の反対意見は完全に誤った引用である。確かにICJ判決には一括支払資金が他の目的に利用された場合、そのことが金銭の分配を受けなかった個人が加害国に請求する根拠となるのかは疑問であるとの趣旨の記載がある(102項)。しかしこれは政府間交渉による補償の成否についての国内裁判所の判断能力という傍論部分における感想めいた記載にすぎない。逆に多数意見は結論部分(108項)において「平和条約 77条4項及び1961年の協定の条項はイタリアにおける手続の主題についての拘束力ある請求権放棄条項であるというドイツの主張の当否についても判断する必要がない」「免除の問題に関する裁判所の判断はドイツが責任を負うか否かの問題について影響を与えない」と明示しており、この判決が一括処理協定による個人請求権の消滅については何も判断していないことは明白である。

  ⑿ 国家中心の国際法から人権中心の国際法へ

 そして、カンサード・トリンダージ反対意見が丁寧に説明しているように、は国家中心の国際法から人権中心の国際法へと転換していく大きな流れの中にある。強行規範に違反する国際犯罪の被害者の人権回復のために裁判を受ける権利を保障し、主権免除を制限していこうという試みはこの大きな流れに沿ったものであって、決して「淘汰される」であろう孤立した見解などではない。

  ⒀ 多数意見の問題点

 各反対意見で指摘されているように多数意見は①争点を極端に絞り込み、紛争の原因となった国家による不法行為の事実から切り離して主権免除を抽象的に検討し、②各国の国家実行(国内判例や立法例など)を調査してその相対多数により慣習国際法を認定するという手法をとり、③ICJが依拠すべき法源のひとつとしてICJ規程 で認められている「諸国の最も優秀な国際法学者の学説」にまったく配慮しなかった。
 具体的には始まったばかりのドイツを被告とする裁判のたった8件の国内判決の中での相対多数により「武力紛争遂行過程での軍隊の行為については主権免除を適用するという慣習国際法が存在する」と結論づけた。学説を無視し、国内判例を形式的にかぞえて慣習国際法を認定するアプローチによれば、発展段階の国際慣習法についてはICJは常に否定的(保守的)な結論に達することになる。
 このようなアプローチの結果、前記のような米国判例、テロ例外、学説の発展などは多数意見では全く無視され、その結果、国家中心の国際法から人権中心の国際法への大きな流れを全く見失うことになった。

  ⒁ 判決の射程

 日本軍「慰安婦」問題との関係でいえば、ICJ規程59条は「裁判所の裁判は、当事者間において且つその特定の事件に関してのみ拘束力を有する」と規定しており、この判決が非当事国である韓国における訴訟を拘束するものではない。また、独伊両国はICJの管轄権を規定する欧州人権条約の加盟国であったが、日韓の間には紛争をICJに付託する条約もなく、韓国はICJ規程36条2項の管轄受諾宣言をしていないので、日韓の一方がICJに提訴しても他方は拒否できることになり、そもそも日韓の問題がICJで争われる可能性はほとんどない。
 しかも、この判決は争点を極端に絞ったために射程距離が短くなり、他の事件への影響力は限定的である。例えば「少なくとも武力紛争遂行過程での軍隊の行為には主権免除が適用される」という認定は武力紛争遂行過程ではない国家や軍隊の行為について主権免除が否定される余地を残すことになる。また国家実行の相対多数によって現時点での慣習国際法を認定する以上、今後の国際法の発展にともなって ICJ判決の趣旨と異なる国内判決が現れることは想定内であり、それが相対多数となればICJの判断が変更されることか予定されていることになる。

 5.イタリア憲法裁判所判決(26)

 このICJ判決を受けて、イタリア破毀院(最高裁判所)は判例を変更してイタリア裁判所の管轄権を否定した。また国会も2013年1月、ICJ判決を受けいれるため、同種の事件が係属する裁判所に管轄権の欠如を宣言することを義務づけ、確定判決の再審事由に管轄権の欠如を追加する法律を制定した。しかし2014年10月22日、イタリア憲法裁判所はこのような法律はイタリア憲法が保障する裁判を受ける権利を侵害するものであって違憲であると判示した。(27)
 このように、不法行為例外や人権例外に対する国際法の状況は流動的であり、イタリアとドイツの紛争も未だ決着がついたとはいいがたい。

 6.アジアの日本軍「慰安婦」被害者による米国訴訟

  ⑴米国裁判所への提訴

 ナチス・ドイツ被害者の法廷闘争と相前後して、アジアの日本軍「慰安婦」被害者らも主権免除の壁を突破する試みを開始した。2000年9月18日、韓国人6人、中国人4人、フィリピン人4人、台湾人1人の合計15人の日本軍「慰安婦」被害者が日本国に損害賠償を求めて、ワシントンのコロンビア特別区連邦地方裁判所に提訴したのである(28)

  ⑵争点

 日本政府は裁判所に意見書を提出し、日本国に主権免除が与えられるべきこと、仮にそうでないとしても本件は司法判断になじまない政治問題であると主張した。原告側は①日本はポツダム宣言受諾により主権免除を放棄した、②国際法上の強行規定に違反する行為を行った国家は主権免除を黙示的に放棄している、③「慰安所」経営は日本国家の商業的事業として経営されており、1952年の「テートレター」(29) と1976年の外国主権免除法により米国は制限免除主義に移行したが、それは1952年以前の行為にも遡及適用される、などの主張を展開した。しかし 2001年10月4日の地方裁判所判決と 2003年6月27日のコロンビア巡回区連邦控訴裁判所判決は、制限免除主義は1952年以前の事件に遡及しないとして原告らの主張を否定し、主権免除を適用して請求を却下したため、原告らは連邦最高裁判所に上告した。

  ⑶「黄金のアデーレ事件」(30)

 同じころ、主権免除をめぐるもうひとつの著名な事件が連邦最高裁判所に係属していた。クリムトの名画「黄金のアデーレ」のモデルかつ所有者の姪であり相続人であるマリア・アルトマンが、ナチスに奪われて現在はオーストリアの美術館が所蔵する絵画の占有回復を求めてオーストリア国家を米国裁判所に訴えた事件である。オーストリア国家がこの絵画を入手した行為は商行為だが、制限免除主義(商行為例外)が 1952年以前の商行為に適用されるのかが大きな争点になった。結局連邦最高裁判所は2004年6月7日、商行為例外は1952年以前の行為にも適用されると判断した。同裁判所はその直後の6月14日、「慰安婦」訴訟について黄金のアデーレ事件判決に照らして再検討することを求めて原審に差し戻した。

  ⑷連邦最高裁判所判決(31)

 しかし、2005年6月28日の控訴裁判所の差戻審は主権免除について判断するのではなく、今度は司法審査になじまない政治問題であるとして請求を棄却した。そして再上告を受けた最高裁は原審の判断を認めて2006年2月21日に再上告を棄却した。
 この訴訟は2000年という早い時点において主権免除の壁に迫った先駆的なものであったが、6年近くにわたる米国での法廷闘争は原告らの敗訴に終わった。

  ⑸日本政府の二重基準

 ところで、日本政府は米国訴訟では米国裁判所の訴訟手続に対応し、米国の大手ローファームに依頼して意見書を作成して裁判所に提出した。一方で韓国訴訟では韓国裁判所の訴訟手続を完全に無視した。この二重基準は記憶されるべきである。

Ⅵ.日本軍「慰安婦」訴訟の展開

 1.ハーグ送達条約

 さて、書面の送達をめぐって膠着していた韓国の日本軍「慰安婦」訴訟に立ち戻ろう。
 送達の国際ルールは「民事又は商事に関する裁判上及び裁判外の文書の外国における送達及び告知に関する条約」(ハーグ送達条約)であり、日本も韓国もこの条約の締約国である。同条約によれば締約国は外国からの送達を受理して処理する責任を負う「中央当局」を指定する(2 条)。日本の場合外務省が「中央当局」に指定されている。したがって外国の裁判所は日本の中央当局である外務省に訴訟書面や送達の処理を要請する書面を送り、外務省が日本国内の被告に送付する事になる。また特別の事情のある場合には「外交上の経路」を通して「中央当局」に送ることができるとされている(9条)。

 2.日本政府の受領拒否

 2016年末に提訴した 2次訴訟の場合、翌年の4月には「中央当局方式」で、すなわち裁判所から日本外務省に書面を送付して送達を要請した。ところが外務省は些末な部分の翻訳が欠けているとしてこれを返送してきた。そこで翻訳を補正して再度送付したところ「ハーグ条約 13条の主権侵害」を理由に返送してきた。裁判所は翌2018年11月に韓国外務部から日本外務省に送付する「外交上の経路」で送達を試みた。しかし外務省は前回と同じ理由でこれを返送してきた。ハーグ条約13条は送達の要請は「受託国によりその主権又は安全を害する性質のものであると判断される場合を除くほか、拒否することができない。」「受託国は、当該事件につき自国の法律上専属的な裁判管轄権を有していること又は自国の法律上当該請求の趣旨に対応する法的手段を認めていないことのみを理由として、前項の送達又は告知の実施を拒否することができない。」と規定している。本件についての日韓の争いは訴訟の管轄権をめぐるものであり、日本外務省の対応は単に手続の遅延を目的としているとしか考えられないものであった。このような対応により訴訟の進行が阻害され、その間に多くの被害者が亡くな っていった。
 結局裁判所は通常の方法では送達が不可能と判断し、2019年3⽉5⽇に公⽰送達を命令、同年5⽉9⽇に送達の効⼒が発⽣し、訴訟手続が進められることになった(32)
 1 次訴訟についても類似の経過をたどり、2 次訴訟にやや遅れて公示送達の効力が発生した。

 3.一審での主張・立証

 こうして両訴訟とも提訴から数年を経てようやく訴訟手続が進行することになった。2次訴訟では2019年11⽉13⽇の第1回弁論期⽇以来、2020年11⽉11⽇まで合わせて6 回の弁論期⽇が⾏われ、主権免除の壁の突破を周到に準備してきた弁護団は本件が主権免除の例外にあたることを詳細に主張・立証した。原告側は本件の国際法上の論点について網羅的に論じたアムネスティ・インターナショナルの意見書、ジェンダーに関する国際規範の上で日本軍「慰安婦」問題が深刻な強行規範違反行為であり、人身売買は商行為であるから主権免除は適用されないというロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のクリスティー・チンキン教授の意見書を提出した。また、国際法学者の 白錫凡 ペク・ソクポム 白錫凡教授が主権免除の法理について証言した。白教授は強行規範違反については主権免除を適用すべきだという慣習国際法も主権免除を適用してはならないという慣習国際法もなく、国内裁判所が決定することができると述べた。そして、被害者の最後の救済手段が国内裁判である場合には主権免除を排除すべきであると証言した。日本の戸塚悦朗弁護士は国連における性奴隷問題の議論などを総括し、1994年の国連・現代奴隷制作業部会が常設仲裁裁判所(PCA)による仲裁手続を勧告したとき被害者側はこれに応じる意思を表明したが日本の拒否により実現しな かった事実などを指摘する意見書、筆者が日本で提起された約100件の戦後補償裁判の概要を説明し、2007年4月27日の最高裁判決は外国人被害者に賠償請求権があっても訴訟による請求はできないと判示したので、日本の裁判所による救済は不可能であるという趣旨の意見書を提出し、韓国での訴訟が原告らにとって最後の救済手段であることを立証した。
 一方、前述のような経緯で訴訟にいたった1次訴訟では、原告側は主権免除について積極的な立証を行わなかった。しかし裁判所の勧奨によって2次訴訟の訴訟記録についての文書送付嘱託の申立を行い、2次訴訟の全記録が1次訴訟裁判所に送付された。
 こうして、2020年末までに両訴訟の弁論は終結し、全く同じ証拠を前提に同じソウル中央地方法院の異なる2つの裁判部が判決を宣告することになった。

 4.1次訴訟1審判決(1.8 判決)

 2021年1月8日、まず1次訴訟の判決が宣告された。
 判決は日本軍「慰安婦」の動員の歴史、各原告の被害、当時日本が加入していた国際条約、日韓請求権協定、河野談話、2015年日韓合意、原告の多くが死去した事実などを詳細に認定した。事実関係自体は争点ではないが、人権例外の判断のため、国際法への重大な違反や深刻な人権侵害の事実を認定したのである。そして、日本軍「慰安婦」は日本軍人らの身体的・情緒的安定、軍隊の効率的統率と統制などを目的として法令の整備や予算の配分を行って実行した主権行為であるとして、制限免除主義(商行為例外)の対象であること否定した。さらにギリシャ、イタリアの訴訟、ICJ判決、イタリア憲法裁判所判決などを概観したうえで、①裁判を受ける権利の重要性②手続法によって実体法上の権利が形骸化されてはならない③国際法が個人の権利保護に向かう中で主権免除も変容した④当時の朝鮮半島は戦場ではなかった⑤国際強行規範の存在⑥主権免除を適用した場合の不当な結果⑦主権免除は強行規範に違反して他国の個人に重大な損害を与えた国家の隠れ蓑ではないことなどを指摘し、日本によって計画的・組織的に行われた反人道的犯罪行為である本件には主権免除を適用できないと判断した。②はICJ判決への批判、④はICJ判決の論理によっても本件は主権免除の対象外だという趣旨である。そして「国家の反人道的不法行為の被害者の最後の救済手段が国内裁判である場合に、被害者の裁判を受ける権利を重視して例外的に主権免除の適用を否定すべきである」として人権例外を正面から認め、原告らの請求を認めたのである。

 5.日本政府、メディア、野党の非難

 日本政府はこの判決を「国際法上の主権免除の原則に違反する」と非難し、多くのメディアや一部の野党幹部もこれに追随した。
 菅義偉首相は「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さない。これは決まりですから。」、茂木外相は「国際法上も 2 国間関係上も到底考えられない異常な事態」と述べた。しかし、前述のように慣習国際法である主権免除規則は絶えず発展しており、「決まりですから」というような固定的・恒久的なものではない。人権例外への賛否は国際的に拮抗しており「到底考えられない異常な事態」でもない。政府の態度はまるで19世紀の絶対免除主義の亡霊である。人権例外のような複雑な論点に触れることを避け、国際法=主権免除という単純な図式を繰り返し、韓国は国際法を守らない国という印象を国民に植え付けようとしたのであろう(33)

 6. 1.8判決の先進性

 実際には、この判決はアジアで初めて人権例外を採用し、人権中心の国際法の流れに沿った先進的な判決であった。その判決文は阿部浩己教授が「人権の普遍的実現をめざす裁判所の思考態度は、日本に身を置く者にはまぶしいほどである」(34)と評したほど人権感覚にあふれていた。
 ただ、1次訴訟(2次訴訟も)の原告らはすべて朝鮮半島から連行されて各地で日本軍「慰安婦」生活を強いられた被害者であり、日本による不法行為の一部は朝鮮半島で行われているので、不法行為例外によって主権免除を排除することも十分に可能であった。それにもかかわらず不法行為例外について判断せずに、あえてICJ判決との対立を厭わず人権例外を採用したこの判決は、先進的であると同時に、保守的な裁判官が担当すれば反対の判断が示されるのではないかと言う危惧を感じさせるものでもあった。

 7. 国際法律家声明

 そこで日韓の弁護士、法学研究者20人は、日本では判決に対する粗野な非難の言説を克服し、韓国では2次訴訟の裁判所を励ますため、次のような「ソウル中央地方法院判決を支持する国際法律家声明」を起案し、各国の法律家に賛同を呼びかけた。

 「2021年1月8日、韓国のソウル中央地方法院は日本国の不法行為責任を認め、日本軍『慰安婦』被害者原告12人に損害賠償金の支払いを命じる判決を宣告した。被害者らは苦難の人生の末にようやく勝訴判決を手にした。
 日本政府は訴訟手続に一切参加せず、上訴期間も徒過し、判決は確定した。日本政府はこの判決は国際法の規則である主権免除に違反すると非難している。
 しかし、国家の反人道的不法行為の被害者の最後の救済手段が国内裁判である場合に、被害者の裁判を受ける権利を重視して例外的に主権免除の適用を否定するというこの判決は、国際法違反であるどころか、発展しつつある慣習国際法に合致し、国際法の未来を切り拓く優れた判決である。
 日本政府は自ら上訴の機会を放棄して確定させた判決を直ちに履行すべきである。」

 2次訴訟の判決が4月21日と指定され、急遽集約して4月7日に公表することになったため、十分な賛同者を集められたとは言えないが、それでも9か国410人(うち日本は192 人)の法律家の賛同を得ることができた

 8. 2次訴訟1審判決(4.21 判決)

 しかし、同年4月21日の2次訴訟1審判決では残念ながら前記の危惧が的中した。判決は「最近示された」ドイツ対イタリア主権免除事件のICJ判決が現在の慣習国際法を具現するものであるとして、日本の主権免除を認めて原告らの請求を却下した。2012年の時点で各国の国家実行を数え上げて相対多数で慣習国際法を認定したICJ判決(その数え方自体に異論はあるが)を逆に2022年の韓国裁判所が慣習国際法として適用するというのである。仮に再びICJで争われると、今度は韓国裁判所の判決が数え上げられて相対多数で結論が導かれることになる。これでは、永久に因果がめぐり国際法は一切の発展をやめる事になる。これは、中学生でも分かる論理の破綻としか言うほかはない。また、不法行為例外については判断を避けたICJ判決を一歩進め、国内法で不法行為例外を定めた11ケ国(当時)、これを認めた条約に署名している28ケ国は国連加盟国の193国に比べれば少数だとして不法行為例外が慣習国際法であることを否定した。しかし、そもそも主権免除について何も表明しない国家が大部分であるにもかかわらず、あえて国連加盟国数を分母として不法行為例外が少数であるとするこの論理も破綻しており、後にソウル高等法院の判決で的確に批判されることになった。
 さらに判決は「武力紛争遂行過程の軍隊の行為」というためには戦場である必要はなく、戦争が進行する時期に戦争目的のために行われた国家の行為であれば足りるとした。これによれば、およそ戦争の時代の国家による人権侵害被害者は訴訟により救済を 受ける可能性を失うことになる。しかもICJはまさに戦場での不法行為であったドイツを被告とする8件の裁判例の中での相対多数で「武力紛争遂行過程の軍隊の行為には主権免除が適用される」という慣習国際法の存在を認定したのである。これを戦場でない場合にまで適用するのならICJの認定の前提が否定されることになる。
 そして原告らの裁判を受ける権利については、2015年の日韓「慰安婦」合意は主権免除によって被害者の裁判を受ける権利を制限することを正当化する「代替措置」であると判示した。しかし、裁判は対審構造の中で当事者が主張を尽くすことに要点があるのであって、当事者の意見を全く聞くことなくなされた両国政府の合意が裁判の「代替措置」となる余地はない。これを「代替措置」と認めるなら、裁判を受ける権利は政府によって自由に制限できることになる。しかも 2005年12月に国連総会で採択された「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」は被害者中心主義を宣明し、被害者の意思を反映した救済を求めているのである。
 さらに、韓国政府の不作為の違憲を認めた憲法裁判所決定に関する目を疑うような誤解もあり(35)、全体として原告らの請求を却下したいという裁判官の願望だけが前面にでた判決であって、上級審がそのまま受け入れるはずはないと確信できるほど論理が粗雑であった。原告側は当然控訴して2審のソウル高等法院で争われることになった。

 9. 新しい裁判例

 原告らが数年間の法廷闘争を展開するうちに、韓国の主権免除研究は画期的に前進した。国際法学者の協力を受けて、弁護団は多数の海外の裁判例を収集して主張を展開した。その中でも特に注目すべき裁判例はブラジルとウクライナの新しい裁判例である。

  ⑴ブラジル「シャングリラ号事件」判決

 第2次世界大戦中の1943年7月、ブラジル漁船シャングリラ号がブラジル領海内で沈没し、乗船していた漁民10人全員が死亡した。永らくこの船の沈没原因は不明とされていたが、歴史家の努力の結果、ドイツ潜水艦の乗組員の供述書面などが発見され、ドイツ潜水艦の攻撃によるものであることが判明した。2001年に海事裁判所がようやくこの事実を認定し、被害者遺族らは損害賠償を求めて 2008年にリオデジャネイロの地方裁判所にドイツ連邦共和国を提訴した。しかし、一審の地方裁判所から通常裁判所の最終審である司法高等裁判所まで、すべての裁判所はドイツ連邦共和国の主権免除を認め、原告らは10年余にわたって敗訴を続けた。しかし、原告らはあきらめることなく、2014年、ドイツに主権免除を認めた判決はブラジル憲法に違反するとして 連邦最高裁判所(違憲審査権を有する憲法裁判所)に特別上告した。 連邦最高裁判所は7年間の審理の末、6対5の多数で原審を破棄し、戦争犯罪や国際法上の人権を侵害する行為については主権免除を認めることはできないと判断した。 判決は、「主権免除は人権侵害の被害者らが加害者の責任を追及する可能性を否定することにより、ブラジル憲法、世界人権宣言、国際人権規約で保障されている司法アクセス権を妨げる」と述べ、判決理由のなかで韓国の1.8判決にも言及してドイツの主権免除を否定した。
 前記のICJ判決ではシャングリラ号事件も軍事紛争遂行中の軍隊の行為には主権免除を適用する趣旨の国内判例として数えられていた。その判決が取消され、人権例外を認めた連邦最高裁判所判決に置き換えられたのである。

  ⑵ウクライナ最高裁判所判決

 2022年4月14日、ウクライナ最高裁判所は2014年にウクライナを侵攻したロシア軍と戦闘中に死亡した軍人の遺族がウクライナ裁判所に提起した損害賠償請求訴訟において、ロシアの主権免除を認めた原審判決を取り消し、ロシア政府の損害賠償責任を認めた。判決はこの事件はウクライナ領内におけるロシアの不法行為によるものであると認定し、まさに「武力紛争遂行過程での軍隊の行為」によるものであっ たが、国際法上確立された「不法行為例外」にあたるとしたのである。

 10.2審の主張・立証

 弁護団は主権免除の例外の法理について詳細に主張し、上記の裁判例を引用して各国の国内裁判所がICJ判決に拘束されることなく自国の憲法秩序にしたがって主権免除について判断していること、主権免除の国際法が発展を続け、ICJが数えあげた裁判例自体も変化していることを明らかにした。そして、ソウル大学のヤン・ヒョナ教授がジェンダーの観点から被害事実について証言し、2023年5月11日には筆者が一審意見書と同趣旨を証言し、また、主権免除に関する基本的な概念を説明して、本件には不法行為例外にも人権例外にも該当すると述べた。
 そして、9月11日には原告側は英国バーミンガム大学アレクサンダー・オラケラシビリ(Alexander Orakhelashvili)教授の意見書を提出し、証言の映像を法廷で上映した。同教授は強行規範は主権免除を制限する可能性があり、性奴隷制度のような人権侵害は主権免除の対象外とされるべきであるとして、韓国裁判所は日本軍「慰安婦」訴訟を審理する権限を有し、国際法上の障害はないと述べた。

 11. ソウル高等法院判決

 2023年11月23日、ソウル高等法院判決は1審判決を取消し、日本の主権免除を否定して原告らの請求を認めた。判決は原告らの被害事実、絶対免除主義から現在にいたる主権免除の発展の歴史を丁寧に認定した後、主権免除の慣習国際法は固定的なものではなく動態的性格のものであることを強調した。そして、「法廷地国の領土内の人身上の死亡や傷害を引き起こすなどの不法行為」について主権免除を認めない内容の国家実行が多数確認されており、それらは主権行為と業務管理行為を区別せず、故意的な政治的暗殺にまで広く適用されているとして、不法行為例外が慣習国際法となっていることを認めた。また、「仮に不法行為例外が慣習国際法であるとしても『武力紛争遂行過程での軍隊の行為には主権免除が適用される』という慣習国際法が存在する」と判示したICJ判決については、日本軍「慰安婦」被害者が欺罔や強制によって連行されたのは武力紛争地ではない朝鮮半島なので、ICJの論理に従ったとしてもこの部分は日本軍「慰安婦」のケースには当てはまらず、不法行為の一部が韓国の領域内で行われた本件の場合には主権免除が適用されないと判断したのである。
 一方、この判決は不法行為例外により主権免除を否定したので、「強行規範違反」「最後の救済手段」など人権例外に関する要件の検討は行わなかった。
 このように、ソウル中央地方法院の1.8判決がICJ判決の論理の一部を否定して人権中心の国際法への志向を強く打ち出した先進的な判決であったのに比べ、ソウル高等法院判決は国際法が人権中心に発展しつつあることを認定しつつICJ判決との衝突を回避し、韓国の領域内の不法行為によって損害を被った被害者らの救済に必要な範囲で主権免除を否定した堅実な判決であった。
 日本政府はこの判決に対しても「国際法違反」と非難しただけで、上告することはなく、判決は確定した。

 12. 3次訴訟(清州地方法院)判決(36)

 2 次訴訟の勝訴後の2024年1月27日、清州地方法院にもう一件の訴訟が提起された。これは生前に日本軍「慰安婦」被害者として名乗り出て1998年に逝去した 吉甲順 キルカプスン さんの遺族が提訴したものである。原告側は提訴直後に送付嘱託申請を行い、裁判所はソウル中央地方法院とソウル高等法院の訴訟記録を取り寄せた。その後訴状発送、受取拒絶を経て公示送達が行われ、翌年4月25日には判決が宣告された。これらの経緯からみると、法律的な判断は2次訴訟で提出された証拠によって示されたものと思われる。
 判決は、日本国の行為が強行規範違反であることを簡潔に示して主権免除を否定し、原告に対する1億ウォンの賠償を命じた。このような訴訟の経緯と判決内容は、少なくとも日本軍「慰安婦」問題については日本の主権免除を否定する判断が韓国の裁判所で定着したことを示している。

Ⅶ 訴訟の成果

 こうして日本軍「慰安婦」被害者らの日本国に対する訴訟はすべて原告の勝訴に終わった。日本では「韓国の裁判所で日本軍『慰安婦』が提訴すれば勝訴するのは当たり前」というような受け止め方をする向きも多いが、実態は全く異なる。特に2次訴訟は、1審は論外として2審の訴訟指揮も決して原告側に好意的とは言えなかった。申請した証拠調べの採用に裁判所が難色を示すなかで、弁護団は被害事実から丁寧に立証し、韓国の国際法学者と協力して各国の裁判例や論文を精査して主権免除の国際法の法理を整理し、海外の専門家に協力を要請して立証し、ようやく裁判官を説得することができたのである。判決後の記者会見でL弁護士が「勝訴できると思わなかった」という感想を述べたのはこのような困難な経緯があったからである。(これを、弁護団も予想しなかった奇異な判決が出たという趣旨で偏頗報道した日本メディアがあった。)
 今後弁護団によって強制執行の試みが続けられるであろう。執行は本案よりも更に困難であろうが、その成否にかかわらず日本軍「慰安婦」被害者らは日本国に対する損害賠償債権を有する法的地位にあることが司法によって認められて名誉が回復された。判決宣告のあと、おそらく意思表示の可能な最後の被害者である 李容洙 イヨンス さんが車いすの上で両手を大きくあげて裁判所から出てきた姿がそれを象徴している。
 また、将来の日本政府が日本軍「慰安婦」問題を解決するためにまず行うべきこと(判決の履行)が具体的に明らかにされた。日本国によって軍人・軍属として動員された被害者や、前記のように韓国では日本企業のみを被告として訴訟を進めていた強制動員労働者(いわゆる元「徴用工」)も日本国を被告として提訴する途が開けた。

Ⅷ 残された課題

 しかし、戦争・植民地被害者が実効的な救済手段を獲得するためには未だ多くの課題が残されている。まず、加害国に対する執行には未だに大きな障害がある。執行ができなければ勝訴の効果も名誉の回復にとどまり、実効的な救済とはいえなくなる。そして、人権回復のために要する年月が余りにも長期である。日本軍「慰安婦」被害者は最初の1人が名乗り出るまで46年を要し、日本訴訟、国連での訴え、米国訴訟を経て韓国訴訟にいたり、その間に被害者はほとんどは亡くなってしまった。強制動員労働者(いわゆる「徴用工」)被害者も日本訴訟、ILOなどの国際機関への訴え、韓国訴訟を経てようやく加害企業に対する勝訴判決を手にしたが、加害企業の履行拒否に遭い、日本国の責任を追及する前に意思確認が困難なほどの高齢になり、支援者や弁護士から隔離されたまま、 尹錫悦 ユンソンヨル 政権の解決策(事実上の加害企業救済策)に同意したことにさせられた。戦争や植民地支配により深刻な人権侵害を受けた被害者がその後の人生をすべて加害国の責任追及に費や さなければならない実態は理不尽であり、とうてい実効的な救済とはいえない。

Ⅸ 主権侵害と主権免除

 ところで、前記のウクライナ判決は「主権免除は国家の主権に対する相互承認のもとに認められる法理であり、ロシア連邦がウクライナの主権を否定してこれに対する侵略戦争を行う場合、この国家の主権を尊重し遵守する義務はない」と指摘した。日本軍「慰安婦」被害者を含む戦争・植民地被害者は、そもそも被害者の属する国家の主権を侵害した植民地化や侵略戦争の行為によって人権を侵害されたのである。他国の主権を侵害してその国民の人権を侵害しておきながら、いざ被害者から提訴されると自国の主権を振りかざして主権免除の壁に逃げ込むのは明らかに不条理である。したがって、国家の強行規範違反の行為が植民地支配や侵略戦争に伴うものである場合には、主権免除を排除するべき内在的な理由があると言うべきである。
 そうであれば、このような場合、人権回復の利益と主権免除の利益の均衡を図る趣旨の要件である「国内裁判が最後の救済手段である場合」は不要である。自国での訴訟は執行の困難などの難点があるとしても、あえてこれを初期の救済手段のひとつとして選択することを禁止する理由はない。それによって、立法解決などの早期の実現も可能になる可能性もあるからである。

Ⅹ むすび

 ギリシャ、イタリアの被害者の闘いが韓国の被害者の提訴を促し、1 次訴訟の 1 審判決がブラジル連邦最高裁判所を動かし、さらにそれが 2 次訴訟のソウル高等法院を動かした。さらにこの判決に刺激を受けて、中国の日本軍性暴力被害者らが山西省と湖南省の裁判所に日本国を提訴した。これからも世界の各地で戦争被害者、植民地被害者による闘いが続くことになるだろう。韓国の裁判所が相反する判断を示したように、今後も各国の司法判断は紆余曲折を経るに違いない。しかし、各国の被害者の闘いが共鳴して作り出した国家中心の国際法から人権中心の国際法への大きな流れを止めることはできない。その中で、人権回復を主権免除に優先する判断が徐々に定着し、前記のような課題を克服していくだろう。


脚注

(1)戦争・植民地被害者を原告とする民事訴訟の件数

(2)日韓請求権協定3条
1 この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。
2 1の規定により解決することができなかつた紛争は、いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を要請する公文を受領した日から30日の期間内に各締約国政府が任命する各1人の仲裁委員と、こうして選定された2人の仲裁委員が当該期間の後の30日の期間内に合意する第三の仲裁委員又は当該期間内にその2人の仲裁委員が合意する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員との3人の仲裁委員からなる仲裁委員会に決定のため付託するものとする。ただし、第三の仲裁委員は、両締約国のうちいずれかの国民であってはならない。
3 いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を任命しなかつたとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府のそれぞれが30日の期間内に選定する国の政府が指名する各1人の仲裁委員とそれらの政府が協議により決定する第三国の政府が指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。
4 両締約国政府は、この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。


(3)逆に強制動員労働者(元「徴用工」)に関する2018年の韓国大法院判決等について、日本政府は2019年に韓国政府に日韓請求権協定3条による協議と仲裁を申し入れたが、韓国政府は拒否した。双方の拒否によって同条は事実上死文化したと言ってよい。

(4) 「慰安婦合意」の経緯や問題点については、2017年に 文在寅 ムンジェイン 政府のもとで行われたタスクフォースの報告書参照。

(5)情報公開法による公開請求で不開示となった部分について2016年3月17日提訴。2017年1月6日の一審判決は「情報非公開により保護される国家の利益は、国民の知る権利より大きくない」として請求を認容したが、2019年4月1日の二審判決は「両国が築いてきた外交的信頼関係が深刻な打撃を受ける」などとして一審判決を取り消し、大法院も2023年6月1日、二審判決を支持して原告の請求を棄却した。

(6)2016年5月27日に提訴したが、憲法裁判所2019年12月27日決定は、「慰安婦合意」は非拘束的合意に過ぎず、これにより日本軍「慰安婦」被害者の権利が処分されたり韓国政府の外交的保護権が消滅したものではないので憲法訴願審判の対象ではないとして却下した。

(7)2016年8月30日提訴。一審は「慰安婦合意」は原告ら個人の日本に対する損害賠償請求権を消滅させるものではなく、被告は外交について広い裁量権があり、合意を不法行為と評価することはできないとして棄却。ソウル高等法院は2019年12月26日、「被告は慰安婦合意が国際社会の普遍的な原則である被害者中心主義に反し、原告らに精神的苦痛を与えたこと、合意が真の解決になり得ないことを認め、被害者らの名誉と尊厳の回復のために努力する。原告らは訴を取り下げる」という調停に代わる決定を示し、原被告とも期限までに異議を申立てなかった。

(8) 2012年現在11ケ国。その後中国で国家免除法が制定された。

(9) A・カッセーゼ「戦争・テロ・拷問と国際法」敬文堂,1992年 177頁

(10) 条約法条約53条
締結の時に一般国際法の強行規範に抵触する条約は、無効である。この条約の適用上、一般国際法の強行規範とは、いかなる逸脱も許されない規範として、また、後に成立する同一の性質を有する一般国際法の規範によってのみ変更することのできる規範として、国により構成されている国際社会全体が受け入れ、かつ、認める規範をいう。


(11) 水島朋則「主権免除の国際法」名古屋大学出版会,2012年 176頁以下

(12) 東京地裁1963年12月7日判決参照

(13) 京都地裁2009年10月28日判決等参照

(14) 大阪地裁2001年3月27日判決、広島地裁1995年3月25日判決参照

(15) ソウル中央地方法院2008年4月3日判決釜山地方法院2007年2月2日判決等参照

(16) 以下、ドイツの補償制度及び同国における訴訟の経緯については、山田敏之 「ドイツの補償制度」国立国会図書館 外国の立法34巻3・4号,1996年、葛谷彩 「ナチス時代の強制労働者補償問題」愛知教育 大学地域社会システム講座社会科学論集 49,2011年、山手治之「ドイツ占領軍の違法行為に対するギリシャ国民の損害賠償請求訴訟⑴」京都学園法学 2005年第2・3号、同⑵京都学園法学2006年第3号

(17) 一般戦争行為による被害者については、1953年のロンドン債務協定により、ドイツが統一されて平和条約が締結され、賠償が最終的に解決されるときまで解決が猶予されたとして放置された。1990年9月、東西統一を前にドイツに関する最終規定条約(いわゆる 2+4 条約)が締結されると、これをロンドン債務協定の猶予期間を終了させる平和条約であると認める裁判例も現れ、各国の被害者による賠償請求が再燃した。そして、米国カリフォルニア州の裁判所でドイツ企業に対する集団訴訟が提起され、これを契機として2000年に「記憶・責任・未来」基金が発足した。しかし、この基金も戦争捕虜を対象外としていた。特にドイツ軍の捕虜となって移送され強制労働に従事したイタリア軍人収容者は、本来受けるべきであった戦争捕虜としての待遇を当時は否定されたにも関わらず、戦争捕虜であるという理由で基金の支給対象から排除された。

(18) 後掲ICJ判決 多数意見 73,74 項

(19) 後掲ICJ判決 カンサード・トリンダージ反対意見 185〜186 項

(20) 前掲注16 山手

(21) 後掲ICJ判決 多数意見27~29項

(22) 後掲ICJ 判決 多数意見30項以下、 前掲注16 山手

(23)判決英仏語原文はhttps://www.icj-cij.org/en/case/143

(24) 前掲ICJ判決 ユスフ反対意見7~9項

(25) 例えば、坂巻静佳 「国際司法裁判所『国家の裁判権免除』事件 判決の射程と意義」国際法研究 創刊第1号,2013年、前掲水島朋則「主権免除の国際法」153頁以下

(26) 下記に英訳https://www.cortecostituzionale.it/documenti/download/doc/recent_judgments/S238_2013_en.pdf

(27) 水島朋則「欧州における『過去の克服』の現在――独伊戦後賠償に関わる国際司法裁判所判決の履行を違憲とするイタリア憲法裁判所判決を素材として」法律時報第87巻10号, 2015年

(28) 1 審について、山手治之「アジア人元慰安婦の対日本政府訴訟に関する米国連邦地裁判決」 (現代国際法における人権と平和の保証 東信堂,2003年

(29) 1952年に米国国務省法律顧問のジャック・テートが司法長官に送付した書簡。国が絶対免除主義から制限免除主義に移行することを通知した。

(30) 訴訟について、松田幹夫「オーストリア共和国対アルトマン」獨協法学第101号,2016年
マリア・アルトマンが絵画を取戻した物語について、エリザベートザントマン「奪われたクリムト」梨の木舎,2019年。但し法律的説明またはその翻訳に難がある。


(31) 戸田五郎「戦後補償に関する主権免除法の適用と政治問題の法理」国際人権№17,2006年

(32) 韓国民事訴訟法194条以下によれば、外国への送達の場合には同法191条の規定(相手国の担当部署及び海外公館を通じた送達)が奏効しない場合に公示送達を行うことができる。送達すべき書面を書記官が保管しその旨を裁判所掲示板に掲示すると2か月後に送達の効力が生ずる。現在は大法院のホームページに掲載する方法で行われている。

(33) もちろん日本も絶対免除主義をとっているわけではない。2006年7月12日最高裁判決は制限免除主義(商行為例外)を採用し、2010年の対外国民事裁判権法は不法行為例外を明文で認めている。さらに日本は古くから政府解釈として未承認国に対する主権免除を否定してきた。東京地裁1954年6月9日判決は主権免除は国家としての実態に由来するものであるとしてこの解釈を否定したが、政府はその後もこの解釈を維持し(「逐条解説 対外国民事裁判権法」商事法務,2009年14頁)、東京地裁2022年3月23日判決はこの解釈を受け入れた。このように日本は世界的にみると主権免除の例外を広く認めている国家である。

(34) 週刊金曜日2021年2月19日号

(35) 判決は「憲法訴訟事件では、請求人である慰安婦被害者らは自己の被告に対する損害賠償請求権の問題も請求権協定によって解決される争いであることを前提に大韓民国の不作為の違憲性を主張し、憲法裁判所も同じ前提で大韓民国の不作為が違憲であると判断した」という。しかし、前記のように憲法裁判所決定では「慰安婦」問題も請求権協定で解決したという日本政府の解釈と、それは請求権協定の対象外であったという韓国政府の解釈の対立を、請求権協定3条の規定する協議、仲裁により解決しようとしなかった韓国政府の不作為が違憲とされたのである。したがって、請求人も韓国政府も憲法裁判所も「日本軍『慰安婦』被害者の請求権問題が請求権協定によって解決される争いである」などと「前提」していない。これは憲法裁判所決定を一読すれば分かることである。

(36) 本件については、報道、韓国裁判所 web サイトの開示情報、判決文によって記述する。

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